日本酒をノーブランドで売る
日本酒を売る飲食店は「銘柄」の品揃えをアピールしている。最近の人気銘柄の筆頭に挙げられるのは「獺祭」である。2015年に本社蔵を大幅につくり変えたことによって、幻の銘酒がいつでもどこでも飲むことができる不動の人気銘柄になっている。このほか「久保田」「八海山」「写楽」「而今」といった人気銘柄をそろえていると、日本酒好きにとっては訪問リストに載せておきたい店となる。
だから、日本酒の品揃えはお客さまを引き付けるための重要なファクターだ。突出した人気銘柄の入手が難しくなれば、それを補うためのダークホースを探し出して、自店のスターに育て上げていく。
こんな具合に、日本酒好きが高じると「銘柄」に行き着くということが常識だと思っていたが、銘柄に全くこだわらず「お客さまの好みの味わい」「料理とのマッチング」で提供して繁盛しているバルを体験した。立地は東京・門前仲町、富岡八幡宮の参道を横に入った路面店である。
門前仲町は浅草ほどの賑わいはないが、門前町としての風情がある。私用で門前仲町を訪ねる機会が多いのだが、近年つくり込みが巧みな飲食店が増えている。1月の末に富岡八幡宮の裏道を歩いていて、その店「KARASU」を見つけた。店頭はウッディなデザインで店名の文字が小さくデザインされていてセンスの良さを感じた。
店は9坪16席で15時から24時の営業。コンセプトは「日本酒と西洋料理のマッチング」だという。カウンターの中に約50種類のメニューが書かれた黒板があり、「シチリアで食べたポテトサラダ」600円、「地中海風よだれどり」1,000円、「カツオのブルーチーズカツレツ」1,400円というキャッチーなメニュー名が載せてあり、どのような内容なのか思わず聞いてみたくなる。
オーナーの赤井健太郎氏は1989年3月生まれ、20歳で六本木にバーを展開する会社にバーテンダーとして入社。それ以来、社長に「将来飲食業で独立したい」とアピールしていたところ21歳で店長を任された。赤井氏はそれに応えるべく一生懸命に仕事に取り組みマネジメントを学んだ。同社のほか、三軒茶屋のオーセンティックバーで働くなど独立するための修業を8年間積んだ。この過程で、「自分の店では日本酒を発信しよう」という目標が定まっていった。
稀な異国の料理体験をメニューに活かす
六本木の会社にはユニークな制度があった。それは、1年に1度、2週間の有給休暇を取得できて、海外旅行に行かせること。そのために10万円が支給された。そこで赤井氏は当初、仕事に関連するスコットランドやイタリアに行っていたが、だんだんと訪ねるきっかけが稀な異国に憧れるようになり、旧ユーゴスラビアやチュニジアに行った。この経験が、現在の「KARASU」のメニューづくりに活かされているという。
たとえば、チュニジアの国民的調味料に「ハリッサ」がある。これはパプリカをベースに複数のスパイスとオリーブオイルを混ぜてつくるもので、中華料理に例えると豆板醤のようなものだ。これを自家製でつくり、現在のメニューに使用している。最初につくったのは「地中海風よだれどり」、低温調理した鶏の胸肉にハリッサを合わせたものだ。
「KARASU」をオープンしたのは2018年4月。自分の店は代々木上原あたりに出店しようと思っていたが、仲介業者より現在の物件を紹介された。赤井氏はそれまで東京の東エリアを訪ねたことがなかったが、ここを見た時に店のイメージがすぐに湧いてきたことから、即決した。
狭い店であるが、日本酒の一升瓶がたくさん目立つ。赤井氏に尋ねると「70~80本」という。果たして、9坪16席の店で70~80本の日本酒が回転するものだろうかと不思議に思った。日本酒は一度栓を抜くと、劣化が早く進む。劣化するとすっぱい味になり、おいしい飲み物ではなくなる。
「日本酒をアピールする店」とはそういう理由も加わって人気銘柄に限定して揃えているわけだが、「KARASU」ではそれとは全く異なる売り方をしている。それは、冒頭で述べた「お客さまの好みの味わいで売る」「料理とのマッチングで売る」ということだ。日本酒のバラエティ豊富なバルとして成立しているポイントはここにある。
同店の日本酒のメニューにはこう書かれている。
「味わいのボリュームは…ライト?しっかり?」
「香りは…フルーティ?華やか?穏やか?」
「温度は…冷酒?燗?常温?」
「または…料理に合わせておまかせ」
日本酒を売る主導権を店側が握る
このような提案をしている理由について、赤井氏はこう語る。
「日本酒とは食中酒として楽しむものだと思います。何を食べているかということで日本酒を選ぶことが日本酒の醍醐味です。日本酒をより楽しんでもらうために、お客さまからいま食べている料理に合う日本酒をくださいと、言ってもらえるようにしている」
「飲み物はビールのほかに日本酒しか置いていないから、一般的な店よりも日本酒の回転が速いのでは」
つまり、日本酒を「お客さまの好みの味わいで売る」「料理とのマッチングで売る」ということは、商品をお客さまの都合に合わせるのではなく、店側が主導権を握って提供するということだ。オーナーが店の料理にマッチする日本酒の個性に傾注することによって、お客さまにとっては感動的なマッチングとなり、記憶に残る店となり常連となる。事実同店は、いつも近隣に住む30代~40代の富裕な層で満席だ。常連客同士の仲がとてもよい。みな同店の魅力にひかれて「サードプレイス」のようになっているのだろう。
赤井氏はこれから「外食の仕事にこだわらない」ないという。それは、「当店に来て、料理と日本酒のマッチングを楽しんだ人が、自宅で当店のような楽しみ方をしてもらいたい」という発想から始まり、ゆくゆくは「中食よりもクオリティの高い飲食店のおつまみと、それに合う日本酒をセットにして宅配業者に届けてもらう」というビジネスだ。
これは「日本酒と西洋料理のマッチング」という「KARASU」のブランディングによって広がることだ。飲食店がブランディングに成功すると、その商品は別の場所でも楽しむことができる。筆者は今家で「スターバックスコーヒー」のドリップタイプで淹れたコーヒーを飲みながら原稿を書いているが、「KARASU」の顧客にはこのようなタイプの商品も歓迎されることであろう。