「梅干しが好きか嫌いか考えたことのない人」がターゲット
東京・下北沢の駅近くの路地裏に「梅干しサワー専門店」という名の店がある。商品は店名通りに「梅干しサワー」のみ。フードメニューがない。ほかにいくつかのアルコールとソフトドリンクがあるが、おまけのような存在だ。
ただし、「梅干しサワー」のバラエティはある。梅干しはしょっぱいタイプから甘いものまで4種類あり、焼酎はスタンダードが甲類の「金宮」で1杯650円、麦や芋の乙類を使用した場合はプラス50円となる。チャージや税金は付けない。
同店がオープンしたのは2019年4月のこと。経営はThink and Act(本社/東京都新宿区)という会社で川原宙氏(1986年10月生まれ)と藤井拓郎氏(1991年6月生まれ)の二人代表である。
二人は音楽グループの「ゆず」のファンで、そのオフ会で知り合い意気投合した。まず、藤井氏が川原氏にバーを開業したいということを持ち掛け新宿・歌舞伎町に3.5坪8席の「BARくず星」を2017年12月にオープンした。
2号店として「梅干しサワー専門店」のアイデアを切り出したのは川原氏であった。川原氏は梅干しが好物で、飲食店に行くたびに梅干しサワーを飲んでいた しかしながら、納得する梅干しサワーに出合うことがなかったという。その理由はどの店も梅干しの味が薄いということだった。単に梅干しを入れるのではなく梅に関連するエキスやタレを入れることによって大きく味が変わることを発見し、「梅干しサワー専門店」の骨格が見えてきた。
試作を繰り返している過程で、「梅干しが嫌い」という人は肌感覚で2割程度という認識に落ち着いた。そこで「梅干しが好きな人がターゲットではなく、梅干しが好きだとか嫌いだとか考えたことのない、浮動票のような層をターゲットにしよう」と考えた。
フードメニューは当初一般的な居酒屋メニューのラインアップを検討した。しかしながら、どれも梅干しサワーと一緒に食べてみると、ことごとく梅干しサワーの持ち味を台無しにしてしまった。そこで、オープン前にフードメニューを出さないことにした。この割り切り方が「梅干しサワー専門店」の個性を際立たせることになった。
実際にオープンしてから、「本当に梅干しサワーだけなんだ」とむしろほめてくれるお客さまがいた。何より、フードメニューがないことからオペレーションが楽である。お客さまにも従業員にもフードに関わるストレスを与えない。店舗面積は9坪弱の立ち飲みで18人収容が概ねマックスであるが、13人程度が適正という。
「せんべろ」「昼飲み」と一線を画すポイント
梅干しは4種類から選べ、それぞれにキャラクターを求めた。甘いものがあれば、ものすごく酸っぱいものを対極に置くという具合。味の境界線があいまいではなく、それぞれの味がカブらないことを意識した。そこで、メーカーは絞らず和歌山で南高梅を使用した2社とした。ここまで行き着くまで100種類の梅干しを食べたという。
「梅干しサワー」はグラス1杯に25度の焼酎を60㎖入れていて、アルコール度数は強めである。これは梅干しの味が強いことから、ある程度のアルコールを入れないとサワーの味がしなくなると判断し、飲みごたえを重視した。そうして立ち飲みを楽しんでもらおうと考えた。実際に「味が薄い」といった不満足な思いをしない。
梅干しサワー1杯650円という価格は感覚で決めたことであり、厳密な原価計算に基づいているものではない。1杯800円、900円だと「高い」と感じられるだろうし、これではカウンターで知らない人通しが気楽に会話する雰囲気には至らないであろう。
お客さまの注文パターンは、1杯2杯で帰る人、ないし5杯6杯を楽しむ人とさまざま。30分で帰る人もいれば、店で親しくなった人と2時間程度会話を楽しんでいる人もいる。このように支払う金額はまちまちだが客単価は2,000円程度になっている。
同店のお客さまはリピーターが新しいお客さまを連れてくる、というパターンが多い。1人のリピーターが6人の新規客を連れてきたという例もある。このような具合で来店するお客さまは増え続けている。客数は1日20人を下回ることはなく、土日には50人、60人が来店、これまで多い日は80人の日もあった。
昨今の居酒屋では「せんべろ」(1,000円でべろべろに酔っ払うことができる)、「昼飲み」という具合に、低価格で昼から気軽に飲める居酒屋が一つのトレンドとなっている。「梅干しサワー専門店」は客単価など近い一面もあるが、これらの店とは一線を画している。その最大の違いは同店の売り物でもある「空気感」というものではないかと思っている。
サブカルチャーの街だからこそ個性が光る
従業員は話術が達者な人が多い。ピークタイムに3人で運営しているが、三者三様で個性があり、お客さまとの対応を楽しんでいる様子が伝わってくる。現在の従業員は元お客さまというパターンが多い。川原氏はこう語る。
「一般的な飲食店は、従業員の個性を均一な方向にしています。私は全員が違ってそれでいいと考えています。ですから、ここに来たら好きにやっていいよ、好きな人と好きな話題をしなさい、と伝えています」
二人の経営者は従業員に指示を出したり、お願いをすることをしない。一方で、従業員から例えば「利き酒セット」などの商品の提供の仕方などについての提案があると、それを採用している。
店の発案者である川原氏はこう語る。
「梅干しサワーとは僕らにとって一つのコンテンツです。僕たちは飲食店をやりたいのではなく、この店はエンターテインメントの一ジャンルなのです。梅干しサワー以外の商品を置いていないのはたまたまのことで、狙いとしていることは下北沢という街で憩うことができる店にすることです」
筆者はこの店の存在を知ってから3回訪れているが、同店は「下北沢駅近くの路地裏」という立地にとても溶け込んでいる。客層は20代から40代で職業不詳という感じだ。お客さま同士の仲が良く、同店にいると知らないお客さまと自然と会話が弾む。
経営者の二人は物件を下北沢のほかに高円寺でも探したというが、高円寺でもここと同じような溶け込み方をするのではないか。下北沢は小劇場の街であり、高円寺はライブハウスの街だ。このようなサブカルチャーが根付いている街だからこそ、店の個性が光るのだろう。