商売に効く本棚

書評:「アフターデジタルーオフラインのない時代に生き残る」

第5回「デジタライゼーション」による産業革命の中で流通小売業はなにを目指すのか

日進月歩で進む技術革新をスピーディーに「ビジネス」レベルに落とし込み、それを社会システムの中に組み込んでいくという点で、中国は世界でもトップランナーであることは間違いない。アジアでは台湾、欧州ではエストニアといったIT立国も挙げられようが、規模と影響力で考えれば、中国はやはり米国と並び立つ存在である。(流通ジャーナリスト:流川通)

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戦後日本の流通小売企業の多くは、米国チェーンストアを範として、視察を繰り返し、一商店、一家業から、企業へ、産業化への道を歩み、ウォルマートやアマゾンには詳しいが、アリババやテンセントといった中国企業の知識はキャッシュレス決済と越境EC(電子商取引)サイト運営の巨大企業といった程度でとどまっている人が多いのではないだろうか。中国ビジネスを紹介する書籍は増えてきたが本書が優れているのは、中国の先端企業の事例を挙げながら、彼らの思考のフレームワークを整理し、体系化、さらには行き着くビジョンを明らかにしている点である。巷で流行りの「DX」(デジタルトランスフォーメーション)や「CX」(カスタマーエクスペリエンス)という言葉はこの思考のフレームワークと体系、ビジョンの中で理解しなければ、狭小なビジネスの部分最適に終始してしまうだろう。

ディディとフーマー

ウーバーは知っていてもディディは知らない、ウォルマートは知っていてもフーマーは知らない人は多いだろう。

ディディはウーバーと同様のアプリ配車サービスだ。ウーバーも乗客と運転手の相互評価による「信用スコア」による報酬システムを構築しているが、ディディのそれは、ユーザー満足ポイントを徹底してより客観的なデータ取得によって計測している点だ。「配車リクエストの応答時間」「リクエスト後のお待たせ時間」、さらには、急発進、急ブレーキ、速度などのセンシングも記録され「目的地到着時間と安全運転度」という顧客接点ポイントをすべてデータ化し「乗客を安全に目的地へ運ぶ」を実現している。中国でタクシーを乗った人なら理解できると思うが、かつて中国のタクシーは日本では考えられないほど激しい運転だった。しかし中国のモバイルユーザーのうち約45%の人が使うまでになったこのディディの登場によってドライバーのマナー、品質向上が図られたのである。

米国スーパーマーケットの雄クローガーが、店内カメラによってレジ待ち時間の短縮を行い顧客満足度を向上させたのも、このようなセンシング技術をオペレーションやマネジメントの向上に活用した事例だが、小売業の持つ顧客接点のセンシングとリアルデータベース化は、UX(ユーザーエクスペリエンス)改善の具体的なツールとしてより認識されていくに違いない。

フーマーはアリババが展開するEC機能を持つスーパーマーケット企業である。フーマーが立地する3キロ圏内なら30分以内に店内の商品を配送してもらえるサービスが核となっている。

アマゾンフレッシュと同じようなサービスだが、フーマーの店内は、中国スーパー特有のフードコートとのコンボスタイルで、生け簀で魚が泳ぐ姿を眺めながら、お客はその隣で食事をとることができる。ECサイトから注文が入るとそこからピッキングし加工され配達される。お客は、フードコートにも食べに来るので、その様子を実際に見ることができるのだ。

店内はオンライン端末を持った店員がデリバリーピッキングを行っており、ピッキングから店舗に併設された配送センターに届くまでの所要時間は5分。配送センターには専門のドライバーが待機している。お客は店頭でもデリバリーでもアプリ上で決済でき、利用頻度と状況に応じたパーソナライズ画面が設定され、ロイヤルティプログラムを享受することができる。

店内に生け簀があり、デリバリーピッキングが往来する躍動感を本書では「リテールテインメント」(リテールとエンターテインメントを掛け合わせた造語、リアル店舗の価値を表す要素のひとつ)と評している。

「リアル店舗の楽しさ×宅配の利便性」の両輪をまわすことで、フーマーがある地域の不動産相場が他エリアよりも高くなっているほど影響力が高いという。しいて言えば、米国アマゾンが都市部のホールフーズでピッキングサービスを実施しているイメージだろうか。

フーマーの特徴は、表面的なものにとどまらない。「生産―仕入れ―加工―在庫管理」までのサプライチェーンを顧客起点で設計しているため、いわゆる生鮮の廃棄ロスは最小限に抑えられているという。しかも、アリババのオンラインユーザーデータベースと連結しているために、このようなリテールテイメント型ストアが成立する立地を事前に詳細に分析できる。出店当初は、オンライン利用が8-9割からスタートするが、お客が店舗体験をすることによって、来店売上は4割程度まで上昇する。このモデル構築によって、フーマーの店舗は赤字店がほとんどないという。

OMOの世界を体現する平安保険

フーマーのモデルは、日本でもかつてさかんに使われたオムニチャネルやO2O(オンラインtoオフライン、オフラインtoオンライン)といった次元から一歩抜け出たものだ。

オムニチャネルもO2Oも、ひとつの小売企業が起点となり、ECからリアル店舗への送客、リアル店舗からEC利用を促すといった双方向コミュニケーションを志向したものだったが、フーマーはアリババという巨大なプラットフォームの一接点に過ぎなく、お客は、その時々のニーズ、ウォンツでフーマーをひとつのコンテンツとして利用している。つまり、今日は仕事で忙しかったので、帰宅するころ合いに、出来立ての食事を届けてもらいたい、あるいは週末、家族が久しぶりに揃うからフーマーに食べに行こうというというニーズを実現するのはもちろんのこと、その家族の誕生日プレゼントは、アリババのサイトで購入し、すべてアプリ上で決済が行える。子供に良い家庭教師を見つけるのも、保育サービスや医療サービスを見つけるのもアプリを駆使する。

小売もまたその巨大なプラットフォームの持つデータベースを利用して、業態開発や出店を行っている。いうなれば、デジタルという大きなフレームワークの中で、バリューネットワークをデザインする、あるいはビジネス化するという発想が起点になっている。

これを著者は、「OMO(Online merges with Offline)オンラインとオフライン世界の一体化」と表現している。オフライン、つまりリアル店舗は常にオンライン世界の中で利用され、そのポジションが刻々と変化していくことを余儀なくされていく。

本書では、このOMOの世界をもっとも端的に表している企業として「平安保険グループ」の事例を挙げている。

平安保険は1988年に創業した保険会社だったが、2013年に中核だった金融ビジネスの枠を超えて、デジタルサービスを起点にした医療、移動、住宅、娯楽といった生活圏サービス業に変換し、成功を収めている企業である。

中でも、「平安グッドドクターアプリ」は約2億人のユーザーが利用するという魅力的なコンテンツだ。主要機能は3つ。1つ目は、無料で制限時間内で医師に問診サービスが受けられる、2つ目は、病院の予約機能があり、その病院医師のキャリアと評価スコアも公開されているので、自身で予め希望するマッチングができるようになっている。3つ目が「ユーザーが歩くだけでたまるポイントシステム」。歩いてたまったポイントでアプリ内の健康食品や化粧品、医薬品などを購入できるようになっている。このポイントシステムは、1日1回必ずポイントを換金しないとリセットされてしまうために、必ずこのアプリを1日1回見るようになってしまうところに勘所がある。

米国ドラッグストア企業ウォルグリーンも医師や薬剤師との問診ビデオチャットサービスを取り入れているが、平安保険は、このアプリを、膨大な行動データ収集にとどまらず、実際のリアルな営業ツールとして活用しているところに特徴がある。ウォルグリーンのアプリは便利だが、店舗の従業員と必ずしも同期化されていないので、店舗は店舗、アプリはアプリというイメージが先行する。平安保険の場合は、アプリでの行動履歴が、営業員にフィードバックされるので、より具体的かつ親身な提案ができるという。ただし彼らは保険を売り込むというスタンスは持たない。あくまでもお客様の生活を向上させるお手伝いをするという姿勢に徹している。そのために「保険に入るなら平安」と考える人が増えているということだ。

かつての日本でも生保レディと称する営業ウーマンたちが、直接の保険の売り買いだけではなく、世間話から子供の進学相談にのったり、オフィス街では美味しい定食屋さん案内、高齢者には病院の口コミ評価をそれとなく伝えるような文化があり、世界最大と言われた巨大な生保マネーの下支えをした。平安保険は、アプリの利便性とお客の生活に寄り添うコンシェルジュ的な日本のおもてなし文化をミックスさせたところに強みがあるのではないだろうか。

ビジネスプラットフォーム構築から社会システムのアップデートへ

ディディやフーマー、平安保険といった事例を眺めると、信用スコアや行動履歴、購買履歴といった個人情報をビジネスの「種」にしているようなイメージも出てくる。当然これらによる社会的デメリットも考慮した上で健全な発展ができるような法制度整備も不可欠だろう。

一方で、交通マナーの向上や歩くポイントなどよりよい行動変容を促すことで、一企業の儲けにとどまらず、ビジネスプラットフォームの構築から、社会システムがアップデートされるという社会貢献的なバックグラウンドがなければ、顧客の支持を得られず、このようなビジネスは成立しえないという点は見逃せない。本書の筆者はさりげなく書いているが、古来、善行を積むことで、徳知が自然に行われる社会を最良とする思想が生まれたのも中国である。

かつて日本の小売業は、社会インフラやビジネスの基盤を根底から変えた「モータリゼーション」によって業態変換、ビジネスモデルチェンジが図られたが、いままさに「デジタライゼーション」によって新しい流通小売りの萌芽が生まれてくることを期待したい。

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本稿を書き上げた朝、アリババグループ傘下で電子決済サービスアリペイを運営する「アント・グループ」が上海と香港の株式市場に上場し、史上最高額である約3兆6000円億円を調達するのでは、というニュースが流れたが、後になって延期との報道が追加された。様々な憶測が流れるが、一説には中国政府が同企業のトップの姿勢に不快感を示したからだという。同グループを率いるジャック・マー氏は、いまだ様々な規制がイノベーションを妨げ、小規模企業や個人が恩恵を受けていないと語った。イノベーションによる恩恵享受の格差はいつも時代でも社会的課題であり政治マターだ。

かつて日本で席巻した新興チェーンストア企業群が大店法の規制に縛られ、国民の多くがチェーンによる物価引き下げの恩恵を受けていないと主張した姿が重なった。いまの日本の流通小売業は何を社会に実現したいのだろうか。

(藤井保文 尾原和啓著 日経BP)

著者プロフィール

MD NEXT編集部

お江戸日本橋で日夜売り方・買い方を研究し続けています。コンビニマニア、ECマニア、100均マニアなどなどが集まる、日本で一番「お店」のことが好きで研究し続けている編集部です。