今週の視点

分業制・縦割り組織の弊害

第80回現場、数値、システムもわかるゼネラリスト(多能工)を育てよう

新型コロナウイルス騒動で紙製品やマスク、消毒薬が売場から消えてしまいました。こういう緊急時には、なんでもできるゼネラリストが活躍します。かつて零細だったドラッグストア(DgS)は、一人の人間が仕入れから売場づくり、物流までこなしていましたが、大企業になり、分業化・縦割り組織の弊害が表面化しています。

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隣の部署が何をやっているか分からない「大企業病」の組織

現在は 1,000店を超えるチェーンストアであっても、もともとは1店舗からスタートしました。そして、2店、3店、10店と店数を増やしながら、小売業は企業として成長してきました。初期の小売業を支えた経営者や人材(現在の幹部)は、一言でいえば「何でも屋」です。

自分でメーカーや卸売業を開拓し、商談し、売場づくりも自分で行いました。仕入れた商品が売れないと取引先に相手にされないので、必死で売り方を研究し、店頭で商品を育てる努力をしました。また、売場に死に筋が滞留すると、売れ筋が売場に入らなくなるので、必死で売り切る努力をしました。当然、自分で数値管理を考えて、原始的な「予実管理」も自力で行いました。

ところが店舗数が増えていくと、一人で管理できるキャパシティを超えてしまいます。一般的に小売業は、30店を超えて成長しようとすると、分業化の組織開発と仕組みが必要になるといわれています(30店舗の壁)。チェーンストアの場合は、仕入れ・企画を担当する「商品部」と、陳列や補充などの売場作業を担当する「店舗運営部」の2つの組織にまず分業化します。

しかし、あくまでも大量の店舗を管理するために便宜的に分業化したに過ぎません。一人の人間が仕入れも、売場づくりも、販売もするのが、本来の商人の姿です。便宜上、分業化していても、一人の商人がすべてを担当するかのように、「商品部」と「店舗運営部」は緊密に連携すべきなのです。

しかし、DgSも1,000店を超えるチェーンストアになり、分業化・縦割り組織化が進んでいます。隣の部署が何をやっているか知らないし、知ろうともしない人材が増えていくと危険信号です。平常時に業務がうまく回っているときは、分業化組織でも問題なないのですが、今回のコロナウイルスのような緊急時には、なんでもできるゼネラリストが求められます。

東日本大震災の緊急時に、当時のメーカーの支店長さんの中で、自社の物流がどうなっているかが分かる人はほんの一握りしかいなかったそうです。物流は業者に丸投げしているので、業務の全体がわからず、緊急時の対応が遅れたメーカーもありました。分業化・縦割り組織の弊害は、緊急時の対応のときに表面化します。

業務の全体がわかるゼネラリストの育成

企業は規模が大きくなると、商品部、販促部、店舗運営部、物流部、システム部などと組織が専門職化、縦割り化し、小売業の機能の全体がわかる人材がどんどん少なくなっていきます。今こそ、全体像のわかるゼネラリストを計画的に育成すべきです。

「ジョブローテーション」こそが、ゼネラリストを育成するための最大の人材教育です。まずは、その企業のコアコンピタンス(中核となる業務)から経験を積むべきです。卸売業であれば「物流」、小売業であれば「店内作業」から経験を積みます。

その後、経営管理者の候補生は、計画的なジョブローテーションを行うべきです。店頭現場の作業をマスターしたら、商品部、情報システム部、経理部とジョブローテーションし、会社の業務全体を理解させることで、「数値」と「現場」の両方がわかる経営管理者を育成することができます。なんでも経験して、自然とゼネラリストになった創業期とは違います。大企業になれば、ジョブローテーションによって計画的・長期的にゼネラリストを育成しなければ、分業化された組織の歯車のような人材ばかりになってしまいます。

また、治外法権化しやすい「システム部」も、ある大手DgSでは店内作業をマスターした現場上がりの人材を登用することで、他の部署との横の連携が格段に良くなったそうです。

また、店内作業の現場でも、複数の業務をこなせるマルチ・ジョブ・ワーカー(多能工)を育成することがこれからは重要です。販管費の上昇によって、人の生産性向上は待ったなしだからです。業務の多能工化、つまり現場のゼネラリストを育成することによって、従業員一人当たり生産性の向上を目指す必要があります。

著者プロフィール

日野眞克
日野眞克ヒノマサカツ

株式会社ニュー・フォーマット研究所代表取締役社長。月刊『マーチャンダイジング』主幹を務める。株式会社商業界の「月刊販売革新」編集記者を経て、1997年に独立し、株式会社ニュー・フォーマット研究所を設立。