ハックドラッグ創業者石田 健二氏「ドラッグストアの歴史は 新しい業態への挑戦の歴史です」

ドラッグストア(DgS)の歴史を薬局・薬店の勃興期から知る「生き証人」である、ハックドラッグ創業者の石田健二氏に、目覚ましい成長を遂げたDgSの本質を聞いた。(聞き手/月刊MD主幹 日野 眞克)(月刊マーチャンダイジング2024年1月号より転載)

薬局・薬店は近代化が一番遅れた「業種店」

─過去30年間でDgSは急成長を遂げました。DgSが急成長する前の勃興期について教えてください。

石田 薬局・薬店は業種店として近代化が一番遅れた業界です。大学卒業後に薬剤師になって家業の石田薬局に入ったのが1930年。薬局に調剤の機能がない時代です。医師から処方せんが来ることはなく、売上の大半は日用雑貨でした。

薬剤師として、地域の生活者のために、健康・ヘルス&ビューティケア(HBC)の部分で役に立つことができないかと考えていました。メーカーの系列店である「業種店」から、買い手視点の「業態店」に転換する必要がありました。

そのなかで1968年にアメリカに初めて行きました。アメリカに行くきっかけはコンサルタントの山口英夫先生との出会いです。全国から繁盛薬局の店主を集める山口学校という勉強会を開かれていました。

それ以降は、全国の繁盛薬局の店主との交流が始まりました。山口学校で出会ったのが現在のDgSやホームセンター(HC)の創業者です。

1965年にはペガサスクラブのコンサルタントの渥美俊一先生と出会いました。山口学校とペガサスクラブの勉強後は、アメリカのように「薬局のチェーンストア化」を目指すことを決断しました。家業を脱却して企業化を目指すきっかけになりました。

石田氏が初渡米した1968年ペガサスアメリカ西部セミナー。(サンフランシスコ・金門橋にて)

1968年のアメリカはHCが発展していた時代です。また、日本では売場面積が広いボーリング場が売りに出ていたタイミングでした。アメリカ視察後はアメリカ型のHCに転換して、薬局の近代化に挑戦する創業者もいました。

日本の薬局・薬店の時代は、調剤室を配置しても処方せんはほとんど来ませんでしたが、ドクターと話し合いができたあとは、神奈川県で一番処方せんを扱う薬局になりました。

しかし地元の医師会からの強い圧力があり、クリニックが処方せんを院外に出さなくなり、処方せんを医者にすべて無償で差し上げた時代もありました。

いまのDgSがたくさんの処方せんを受付けていることは、当時では考えられませんでした。

1979年、アメリカ型のスーパードラッグ開店

石田 アメリカ視察後の1976年には「ハックドラッグ杉田店(110坪)」、1979年にはスーパードラッグの「戸塚店(450坪)」をオープンしました。しかしオープンした当時は地元の商店にある、写真現像、食品などの品揃えは一切認められませんでした。「厚木店(450坪)」でも出店を決断してから開店するまでには5年もかかりました。地元の人を説得する必要があったのです。

450坪の売場を埋めるために、HCで売れていた「日用雑貨」を導入しました。日用雑貨はHCのDIYほど品揃えは深くないが、地域客の利便性を高めるカテゴリーです。

従来の薬局が取扱っていなかった「家庭用品」「台所用品」「キッチン用品」を仕入れるために、取引がなかった地方の卸と交渉しました。

HCで取扱う商品は、薬局の日用雑貨と比べると回転が遅く、資金が凍結する可能性がありました。手形は絶対に切らない方針だったので、仕入れの条件として「3ヵ月(90日)」の支払いサイトをつけました。

杉田店ではアメリカのDgSのように調剤の機能はまだなくて、HBCもアイテム数は限られていました。2000年代のパーソナルユースではなくて、シャンプーリンスも家族共用で1本を使うファミリーユースが中心の時代でした。シャンプーリンスも3尺一本で十分な生活スタイルでした。

戸塚店の敷地は1,000坪以上、駐車場は200台規模の大きさでしたが、満員になりました。新しいHCができたという感覚で、DgSという業態が日本で受け入れられるキッカケになったと思います。

DgSの歴史は法律との闘いだった

─薬局・薬店の近代化が遅れた最大の理由は、既存の薬局が「法律」に守られていたことだと思います。法律の変化は新しいビジネスが生まれるきっかけですね。

石田 薬局のチェーンストアに挑戦したくても、日本で新店を増やすには「適配条例」「大店法」の法律の壁がありました。

第1の壁は1963年に制定された「医薬品販売の適正配置条例(適配条例)」です。神奈川県の場合は、既存の薬局から150メートル離れないと新店を出せませんでした。距離制限が撤廃された1990年代までは薬局の出店は簡単ではありませんでした。

第2の壁は「大店法」です。大店法の規制が強かった1970~1980年代は、出店調整に長い時間がかかり、大量出店など夢のまた夢でした。

その後、1990年に大型店の出店規制が緩和されるようになり、売場面積150坪までの店舗は届けるだけで出店できるようになり、1990年代前半に、全国各地で多くの150坪DgSが出店しました。さらに、1999年に大店法が撤廃されると、200~300坪型の現在のDgSの原型の大量出店が始まりました。

薬局の系列化に対抗するAJD、NIDの発足

─大手製薬メーカーの系列店政策に対抗するために、ボランタリーチェーン(全国の薬局・薬店が資本を出しあって会社をつくったチェーン方式のこと)をつくったことについて教えてください。

石田 資生堂が「資生堂チェインストア」をつくり、大正製薬が「鷲の会」をつくり、1970年頃はメーカー主体の薬局の系列化が始まっていました。大正製薬は希望する薬局に資本を出し、レジを安く提供してくれました。大正製薬のFCのような系列店の薬局が増えていました。

ハックも鷲の会には入ると思われていたのですが、メーカーに資本参加されることには抵抗を感じたので入りませんでした。私以外の全国の薬局の店主も、メーカーの系列店が増えると、小売業としての主体性がなくなっていくだろうと危機感を持っていました。

また、販売価格を規制する「再販維持制度(再販制度)」という法律があり、メーカーが決めた価格を小売業が守らなくてはいけませんでした。DgSの主力の医薬品と化粧品は、再販制度によって定価が守られていたのです。

再販制度に守られた大手メーカーによる流通支配から抜け出して、全国の薬局・薬店の店主が資本を出し合って発足したのが、小売主体のボランタリーチェーンでした。代表的なボランタリーチェーンの「オールジャパンドラッグ(AJD)」と「ニッド(NID)」は1970年に設立しています。

1974年は千葉薬品+AJDが共同経営する、スーパードラッグの実験店(500坪)が千葉県作草部市でオープンしました。フード&ドラッグの発祥かつ日本で最初の本格的なDgSです。

「作草部店」の経営管理の責任者は私でした。ハックの店長を派遣して経験を積んだことが、1976年の杉田店、1979年の戸塚店をつくる原動力になったと思います。

スーパーの隣から外に出たウォルグリーン

─薬局・薬店から試行錯誤しながらDgSを目指していたわけですが、どういう役割を果たす業態になりたいと思っていましたか。

石田 アメリカのDgSを見て、調剤部門の面積の広さに驚きました。入って正面に大きくスペースをとって調剤部門があります。昔のアメリカのDgSの処方せん薬の売上構成比は、スーパードラッグでも20%近くはありました。

日本では処方せん薬は「公定価格」なので競争することはないですが、アメリカの薬価は自由なので、スーパーマーケット(SM)やディスカウントストアのウォルマートでも積極的に調剤を安売りしていました。

ほかの業態がDgSの核となる調剤を扱いはじめて、アメリカのDgSは危機感を持ちました。当時のアメリカのDgSは「乗り物」を変える必要があったのです。

スーパードラッグの売場面積をコンパクトにして、調剤主体のHBC+食品のフォーマットをつくったのが「ウォルグリーン」でした。

昔のDgSは、近隣型ショッピングセンター(NSC)の中で、スーパーマーケット(SM)の隣に立地していました。しかし、SMが調剤を強化したのでNSCから外に出て、生活道路の交差点沿いに出店するコーナーストアに出店しました。

より家から近い立地に出店することで、買物の便利性を強化して、SMと差別化しました。また、ドライブスルーファーマシーを始めることで、車から降りなくても調剤を受け取れるようになり、調剤を受け取る便利性を強化しました。

この新業態開発によって、ウォルグリーンの調剤は全体の売上の6割を占めるようになりました。

ウォルグリーンの成功要因は、①コーナーストアで立地の便利性をつくったこと、②調剤の信頼性と利便性を高めたこと、③ドライブスルーファーマシーで調剤を受け取る便利性をつくったこと、④24時間営業、⑤店舗のコンパクト化(300坪型)、⑥調剤併設型DgSづくりだったと思います。

ウォルグリーンやCVSは、新しいDgSの乗り物を1つのコンセプトとして、DgSの強みである調剤の全米ネットワーク化を完成させました。

一方、日本では1990年に薬の処方と調剤を分離する「医薬分業」が動き出して、分業率は0.7%増えて12%。院内処方せんがDgSで受け取れる時代が到来しました。

消費者の変化と法律の変化が転換期

─日本のDgSが急成長した理由は何だと思いますか。

石田 ウォルグリーン、CVSというDgSの新しい形が日本でも増えたことも1つです。1990年代以降につくられた日本のDgSはウォルグリーンをモデルにした店が多いです。

1999年、全国各地に増えたDgSをまとめる機会として、日本チェーンドラッグストア協会(JACDS)が発足したことも、日本のDgSが大きく発展する歴史的過程だと思います。

それと同時に、1999年に大店法が撤廃されて、全国各地にDgSをどんどん出店できるようになったという時代背景ができたことも、急成長を後押ししたと思います。

2002年には、経済産業省の商業統計調査に、初めて「ドラッグストア」という業態名が登場しました。それまでは薬局はあったが、ドラッグストアの統計はなかったのです。日本のDgSが新時代を拓いたエポックメイキングな出来事だったと思います。

規制があった時代に近代化が一番遅れた薬局・薬店から、DgSという新しい業態が確立されて、本格的なDgS産業の時代が来たのは2000年以降です。

一方、1990年代以降の「消費のパーソナル化」「生活者のライフスタイルの変化」も、DgSという新しい業態の成長を後押しして、DgSは日本の消費者に支持を得るようになりました。

次の業態を制するDXの革新

石田 過去を眺めてみると、アメリカも日本も1つの業態は10年・20年がターニングポイントであり、20年以上続いた業態を見ると、必ず新しい形に変わっています。

既存のフォーマットの中で試行錯誤しているだけでは存在しきれないと思います。薬局・薬店の成功体験を否定して、DgSという新しい乗り物を試行錯誤してつくり上げたように、イノベーション(革新)が新しい業態をつくるために重要だと思います。

次の乗り物はデジタルトランスフォーメーション(DX)によるイノベーションから生まれると思います。4年前にアメリカで見た「アマゾンゴー」は新しい乗り物の1つだと思いました。

DgSという業態が日本で20,000店以上に発展して、さらなる成長をしていくための新しい乗り物への挑戦が始まる時代がこれから到来すると感じています。

常に新しい乗り物に挑戦して、今まで蓄えたノウハウや人材を「リスキリング」して、次の成長・発展に結び付けていくのか、大変興味深く見守っていきたいと思っています。

─ありがとうございました。

 

《取材協力》

ハックドラッグ創業者
ウエルシア薬局株式会社名誉顧問
石田 健二氏

月刊マーチャンダイジング25周年記念式典レポート

1997年秋に創刊ゼロ号を発行し年間購読者を募り、1998年の春に創刊号を発行して25年が経過しました。今月号(2023年12月号)で創刊311号に達しています。四半世紀も月刊誌を継続したことを記念して、月刊MD創刊25周年記念式典を、2023年10月16日午後4時から、品川プリンスアネックスタワー5階で開催しました。(月刊マーチャンダイジング2023年12月号より転載)

25周年記念式典は、月刊MDを通じて「つながっている」読者の皆様、広告主の皆様、そして取材協力をいただいている皆様が、リアルに集まって交流する初めてのイベントとして開催しました。当日は、500人を超える製配販の経営トップと業界関係者が集まりました。当日の様子を写真でレポートします。

式典の開催前に行われた月刊MD25周年記念式典の発起人会の皆様の写真撮影
式典入口には大手ドラッグストアの経営者の皆様からの花を掲示しました
約100基のお祝いの花をいただきました(感謝)
月刊マーチャンダイジング25周年記念式典 発起人会の皆様
式典の冒頭は、月刊MD主幹の日野眞克から、「ドラッグストアの過去と未来」というテーマで30分間の講演を行いました

500人を超える業界関係者が一堂に会しました
出席者には、製配販の35人の経営トップが寄稿した「私と月刊MD」という特別編集した小冊子を贈呈しました。多忙な経営トップの皆様が、単なるお祝いの言葉ではなくて、月刊MDを通して体験し、影響を受けたことを御自分の言葉で熱い思いを書いていただたきました。25年間、雑誌を継続して良かったなと思えた寄稿文でした。

この寄稿文は、webメディア「MD NEXT」で順次公開していきます

受付は、実行委員会のメーカー、卸の有志の皆様に御協力いただきました。感謝申し上げます
総合司会は実行委員会会長の今田里美さん(アース製薬)
第2部の懇親会冒頭の挨拶は、出席者を代表して、ユニ・チャームの高原豪久社長にお願いしした。ユニ・チャームさんは月刊MDの表4広告を25年間継続して出稿していただきました
乾杯の音頭は、月刊MD主幹の日野眞克と同郷(愛媛県)で同い年のレデイ薬局会長の三橋信也氏にお願いしました
ツルハHD会長 鶴羽樹氏(右)と日野眞克。長年にわたり月刊MDを応援していただきました
カワチ薬品社長 河内伸二氏(右)。創刊号の発行部数500部の半分はカワチ薬品の社員の読者でした
元ハックイシダ創業者の石田健二氏(左)と、新生堂薬局社長の水田怜氏(右)。ドラッグストアの新旧の挑戦者のツーショット
右からウエルシアHD会長 池野隆光氏、アルフレッサヘルスケア会長 勝木尚氏、クスリのマルエ会長 江黒純一氏、ジェムコ社長 黒田克己氏
ロート製薬社長 杉本雅史氏(左)
右から資生堂ジャパンエグゼクティブオフィサー 渡辺英樹氏、コーセー化粧品販売社長 藤原功氏、資生堂ジャパン社長 直川紀夫氏
大木ヘルスケアHD会長 松井秀夫氏(後列左)、石田氏(左)、鶴羽氏(右)
右からクスリのアオキHD社長 青木宏憲氏、クスリのアオキHD取締役 飯島仁氏、日野眞克、ウエルシア薬局副会長 石田岳彦氏、クスリのマルエ社長 江黒太郎氏
サツドラHD特別顧問 富山睦浩氏(中央)、ユニ・チャーム社長 高原豪久氏(右)
右からユニ・チャーム顧問 森信次氏、ジャパンフューチャー営業本部長中島克彦氏、マツキヨココカラ&カンパニー社長 松本清雄氏、アース製薬営業本部本部長 社方雄氏
後列左からTGMD社長 有馬康幸氏、ツルハHD能力開発本部長 木根崇臣氏、前列左から資生堂ジャパン森川幸平氏、JACDS事務総長 田中浩幸氏
ピップ代表取締役会長 藤本久士氏(左)、ジェイビートゥービー社長 奥島晶子氏(中央)
マツキヨココカラ&カンパニー副社長 塚本厚志氏(左)、コンサルタントの郡司昇氏(右)
中締めの挨拶は資生堂ジャパン社長の直川紀夫氏
スギHD社長の杉浦克典氏(右)、大日本除虫菊社長 上山直英氏(左)
プルミエ社長 及川純氏(右)、プルミエCHO 及川美江子氏(左)
日本チェーンドラッグストア協会事務総長 田中浩幸氏(左)、ツルハHD社長 鶴羽順氏(右)
PALTAC社長 吉田拓也氏
PALTAC専務 山田恭嵩氏(右)、サツドラHD社長富山浩樹氏(左)
右からオムロンヘルスケア統括マネジャー 渡邊琢哉氏、ツルハ南東北部長板澤有希氏、ツルハ社長八幡政浩氏、オムロンヘルスケア事業統括本部長 加藤宏行氏、オムロンヘルスケア国内営業本部長 大川力也氏
あらた社長 須崎裕明氏(右)、クスリのアオキ取締役最高顧問 青木保外志氏(左)
25周年記念ビデオの制作を担当してくれたサイバーエージェントの皆さん。左からリテールメディア事業本部統括 高橋篤氏、株式会社MG-DX社長堂前紀郎氏、サイバーエージェントリテールメディア事業本部局長 長岡琴美氏、サイバーエージェント協業リテールメディアDiv 伊藤理沙子氏、サイバーエージェントリテールメディア事業本部 瀬良純司氏。 前列はサイバーエージェント協業リテールメディアDiv統括 藤田和司氏
右からアース製薬ニューチャネル事業推進部部長 平野正勝氏、アース製薬ニューチャネル事業部室長補佐 橋本正宏氏、アース製薬販売企画部部長 皆川裕之氏、月刊MD編集長 野間口司郎
最後に月刊MDを発行するニュー・フォーマット研究所専務取締役の日野克哉が次の10年の抱負を語りました
25周年記念式典実行委員会の皆様

「マインド」と「アクション」の変革が小売DXの未来を切り開く(前編)

今回はサイバーエージェントでリテールメディア事業を率いる藤田統括と、本誌で情報技術(IT)を活用したチェーンストアづくりの連載を執筆中のリテイリングワークス株式会社の佐々木代表取締役との対談が実現。日本の小売業が今後どのようにDXに取り組んでいくべきか、藤田統括が聞き手となってマインド、組織、パートナーシップなど真のDXを実践するために必要なアプローチを掘り下げる。(まとめ/青木 剣太郎)(月刊マーチャンダイジング2023年12月号より転載)

DX推進に必要な小売企業のマインド(意識)

藤田 今回は経営者、そしてコンサルタントとして日本の流通業、小売業を長年にわたって多面的に見てこられた佐々木先生に日本の小売企業が今後どのようにDXに取り組んでいったらいいかということを色々な切り口からお伺いしたいと思いますのでよろしくお願いします。

今、小売業の各社がDXにさまざまな形で取り組んでいますが、間近で見させていただいている中で、うまく推進されている企業とそうではない企業があります。その違いのひとつは、DXを推進して行く上で、そこに関わる方々のマインド、意識なのではないかと感じていますが、いかがでしょうか?

佐々木 やはりトップマネジメントのマインド、意識が一番最初に問われる部分です。トップのコミットメント(責任をもってある事象や物事に関わっていくことを公約・明言すること)といってもよいと思います。

DXはあくまでも手段です。まずはトップマネジメントが、こういう会社をつくりたい、こういうお店をつくりたい、というビジョンに対するコミットメントが最初に来るべきです。

そして、その実現のためにどんな人が我々の顧客なのか、その顧客にどんな事を提供していくのか、という分析・プランニングがあります。そして最後に、その具体的な方法論として、たとえばパーソナライズ(個客最適化)された情報をデジタルを活用して提供しよう、というDX推進のプロセスが来るべきです。

ところが、日本の小売業のDXについての議論を聞いていると、多くの場合”デジタル”とか、”DX”が主語になってしまう。繰り返しますが、DXは目的ではなく手段です。その点で多くの企業のアプローチが本質的ではないのが現状です。

やはりうまくいっている企業の例を見るとDXが主語ではない。彼らのアプローチは、我々はこのままでは市場で競争力を維持できない、だから競争力を高めるためにどんな会社になるべきかという議論の積み上げがあって、結果として特定の領域でデジタルの力を活用することが、その競争力を高める上で最善であるという考えに則っているわけです。

成功事例を安易に取り入れる「帰納法アプローチ」の危険性

藤田 今DXを進める上で、自社がどうありたいかをちゃんと明確にすることから始めるべきなのですね。一方で、よくあるのがうまくいっている事例をそのまま活用したいからとにかく事例をたくさん教えて欲しい、それをまねたい、というお話です。成功事例を取り入れてDXを進めていく、という観点についてはどのようにお考えですか。

佐々木 日本の小売企業の多くは事例をもとに考える帰納法的アプローチなので、そういった声が多いこともよく理解できます。ただこのアプローチの危険なところは、大抵の場合、他社が成功したのは特定の仕組みを導入したから、というシンプルな因果関係にない、ということを見落としがちだということです。

システム会社、SIer(システムインテグレーター)さんは、ここで上手くいっているとか、この会社で導入されましたよ、ということが最初の営業フレーズです。

ただ、小売業でいうと立地や品揃え、従業員など、自社と他社は全く違うリソースを使って運営しているわけです。すべてのリソースの条件が同じであれば、その仕組みを導入して成功する確率は高いと思いますが、実際はそうではないので、単に他社が導入して成功したからといって導入しても、失敗することが多いのが現実です。

DXの前提となるデジタルの世界で何かを実現しようとすると、まずはアルゴリズムいわゆるフローを考えなければいけないですね。これは事例をもとに考える帰納法的アプローチではなくて、原理原則から考える演繹法的アプローチです。

これは実は1980年代の日本の小売業が実践していたアプローチに近いのです。その頃の流通業セミナーではフローチャート図を書かせるとか、PERT図(プロジェクト内のタスク間にある依存関係を視覚的に表現するためのツール)を書かせることが当たり前でした。

ところがいつの間にかそういったアプローチがなくなって、あそこがあの基幹システムを入れてうまくいっているから自社も、といった話になっている。その基幹システムの中で何がどう動いているか、そんなことは気にせずに事例をまねるわけです。

こういったアプローチでは結局自社の事業、リソース、業務プロセス、システムに最適化された仕組みの構築は難しいわけです。そうした帰納法的に成功事例を導入するやり方で成功した企業は、ほぼないのではないかと思います。

外部企業とのパートナーシップ構築について

藤田 小売企業がDXを推進していく上では、外部企業とのパートナーシップをもって推進することがあると思いますが、パートナーの選び方や信頼関係の構築で苦労されている企業が非常に多いという印象があります。外部の企業をどう選び、パートナーシップをいかに構築していくのかについてぜひ教えてください。

佐々木 大事なことは、協力してもらう外部企業の長所は何か、そしてその長所を可能な限り素直に出してもらうにはどうしたらよいか、ということだと思います。

私が小売業の経営者時代に、さまざまなメーカーさんと取り組みをやる場合、基本的に相手の提案を全部100%に近い形で受け入れて実行することを大切にしてきました。小売業としての自分たちの色を入れない、ということです。そうすることで自社にない発想を含んだ結果を得ることができる。

その後2回目、3回目以降にこういうところを変えたほうがお客さんにとって、もっと便利じゃないのかといった視点で顧客の動向や、自社の考えを入れていくことが重要です。日本リテイリングセンターの故・渥美俊一先生は昔から、日本の優秀なメーカーさんの“ディーラーヘルプ”、これを積極的に使いなさいということを主張していました。メーカーさんの方がいろんな小売企業のケーススタディをもっているので、それをできるだけ有効活用したほうが小売企業自身のためになります。

たとえば、私が富士薬品(セイムス)にいた時も、メーカーさんにいろいろなデータを共有してもらって、この競合店とシェアがどれだけ負けているか、どのカテゴリーでシェアが負けているか、曜日でいつ負けているか、時間帯でどこまで負けているかということを可視化する作業を共同でやっていました。

メーカーさんはこうしたデータベース構築に対する投資もしているので、リアルタイムでデータが共有され機動的な対策が簡単にできます。これを小売業が持っているリソースだけでやろうとすると100%無理です。ある大手小売企業にそういった方法を教えたら、それは自分たちのPOSデータでやるということでしたが、自分たちだけでやろうとしたら毎月数百万円かかって利益どころじゃなくなります。

そのあたりについて、日本の小売業の方々は本質的なところを理解していないのではないかと私は思っています。これを理解して、外部企業との協業・信頼関係が構築できるようになったら、日本の流通は一気に変わると思っています。

ただ現状では、いつの間にか小売企業にとって“メーカーは安売りを阻止する存在”という敵対関係の構図ができてしまって、メーカーさん、問屋さんに言われたものをそのままやるのはダメという刷り込みができてしまっているように思います。

パートナーシップ構築の阻害要因 日本的マネジメント手法

藤田 渥美先生は外部企業を有効活用すべきだとおっしゃっていたのですね。なぜそれが実現・実行できないのか、何がその阻害要因となっているのでしょうか?

佐々木 一番の阻害要因は、トップ同士のコミットメントが不足していることです。アメリカでは基本的にダイヤモンド型のマネジメントで、トップ、情報システム、バイヤーなど各部署が全部横で直接連携してパートナーシップを築いていきます。それに対して日本の場合はいわゆるバタフライ型で、バイヤーと営業担当の接点しかないのです(図表1)。

[図表1]商談モデル

そうすると会社対会社の信頼関係ができない。社長同士が会うといっても単純に挨拶するだけで終わっています。お互いにどういう課題を持って取り組むかも、バイヤーに丸投げというところが多い。

そのバイヤーも、この条件を出さないのだったら取り組みをやめるぞ、とか一発で信頼関係がなくなるようなコミュニケーションをしていることが多いと思います。そういったアプローチでは、ウォルマートのようなダイヤモンド型のマネジメントで先行しているアメリカの小売に対抗するのは難しいのではないかと思います。

藤田 マネジメントという点では、DX推進に必要な事業者間の「プロジェクトマネジメント」の回し方も、パートナーシップを深めていく上で重要なポイントになってくると思いますが、このあたりについてはいかがでしょうか?

佐々木 まずは自社内できちんとプロジェクトを推進できるという前提が必要です。部署を横断した一番小さい単位のプロジェクトを管理することができないと、外部のDX人材をうまく活用しようとしても、日常的にプロジェクト管理をしているIT企業とスピード感をもってうまくプロジェクトを進行することができません。

まずは目的、予算、実行の工程管理、結果の検証といったプロジェクトのPDCAを回すことに慣れてない日本の小売企業については、小さな単位の取り組みから始めることが必要だと思います。

[図表2]DXを成功させるための「マインド」

“現場の一人一人が経営者”ウォルマートのDX根幹にある視点

藤田 小さなプロジェクトを回していく、という点では、われわれがデジタルのサービスをつくる時も同じようなアプローチです。

まずはモックアップ(試作品)をつくってとにかく動かしてみて、それでうまくいったらそこから大きくしていくことをしますが、小売におけるデジタル活用についても同じ考え方が大事だということですね。

DXの成功事例というと必ずウォルマートが引き合いに出されますが、その成功要因で特筆すべきことは何ですか?

佐々木 一番は顧客との接点を最適化することです。小売業の場合、顧客との接点は店舗ですから、顧客を一番知っている店舗現場にどのように自律性を持って仕事をしてもらうかが大事になってきます。

日野先生が主催されたアメリカでのセミナーで、ウォルマートの本部でバイスプレジデント(副社長)に直接お話を伺う機会がありました。その中で「なるほどな」と思ったことは、“現場の人が経営者”という考えを前提として、すべての仕組みができているという点です。”経営者”である現場の人自らが自律的に判断できるように必要な情報を端末を使って提供する、その上で判断は現場に任せる、ということです。

しかし、ただの丸投げで判断を任せてもうまくいかないので、いくつかの選択肢を用意してその人に選ばせることで、判断の品質を一定範囲にコントロールしながらも、現場に自分で判断したという経験をしてもらう。「店舗現場に情報を与えよ」という仕組みづくりをずっとやってきたことが、ウォルマートの本質的な強さであると確信しました。

創業者のサム・ウォルトンは、従業員がベルトコンベアで単純な作業をするような会社をつくりたくない、現場の人たちが自律的に働ける職場をつくりたい、それが創業初期からのビジョンであり、そのトップのビジョンの実現に向けて組織全体がコミットメントをしているとも言えます。

ウォルマート幹部から直接聞いた話に衝撃を受けて、私の小売業におけるシステム開発・構築に対する発想がガラリと変わりました。この考え方をもとに実際に大黒天物産、富士薬品でも、自動補充などのパラメーターを現場でも変えられる仕組みに変更しました。

ただ、実際には富士薬品1,200店舗でパラメーターを変えた人は一人しかいませんでした。自分で判断することに慣れていないのです。

それでもこれまで本部の指示に対して文句を言っていた人が、自分で変えられる、となった瞬間に文句を言わなくなったという良い副作用はありました(笑)。

(後半へ続く)

 

《取材協力》

リテイリングワークス株式会社
代表取締役
佐々木 桂一氏
サイバーエージェント
AI事業本部協業リテールメディア
Div事業統括
藤田 和司氏

NFI定例セミナー「2024年の最重点経営課題 ほか」(2024/1/24 13:00~16:10)開催ご案内(リアル・リモート)

今回のテーマは、「2024年の最重点経営課題」です。とくに人手不足、人件費の上昇によって、「人の生産性向上」は、待ったなしの経営課題です。また、新業態開発、PB開発による「差別化戦略」の事例を解説します。さらに、DXを活用した生産性向上、買物体験の変化についても解説します。

2024年1月定例セミナーは、「リアル」と「リモート」の併用セミナーとします。

今回のテーマは、「2024年の最重点経営課題」です。

とくに人手不足、人件費の上昇によって、「人の生産性向上」は、待ったなしの経営課題です。また、新業態開発、PB開発による「差別化戦略」の事例を解説します。さらに、DXを活用した生産性向上、買物体験の変化についても解説します。

月刊MDで連載中のリテイリングワークスの佐々木桂一氏をゲスト講師に招き、「データドリブン経営のススメ」というテーマで講演をお願いします。

佐々木桂一氏はダイエー出身で、ジェーソン代表取締役、大黒天物産の取締役副社長、富士薬品(セイムス)の専務取締役を歴任した人物です。現在は、小売業の「経営」「現場」「情報システム」のすべてがわかるコンサルタントとして活躍中です。

※座席数が限られているため、リアルでの参加の方は先着順とさせて頂きます。

開催概要

・開催日:2024年1月24日(水) 13:00~16:10(会場受付開始:12:30)
※昼食は各自お済ませの上ご来場下さい。
※セミナー開催中の途中入場はお断りします。
※リモートでの途中退席は申込責任者に報告します。

・会場:エッサム神田ホール1号館6階(601)(※案内図をご参照ください)
・実施方法:リアルとZOOMによるリモートセミナー
(ZOOMセミナーアクセス方法はお申込み者様にのみご案内いたします)
・料金:20,000円(税別・1名様)
(※ニューフォーマット研究会会員企業様には会員価格でのご案内になります)
・申し込み締め切り:2024年1月15日(月)

スケジュール

[第1講座]
2024年の最重点経営課題

[13時~14時30分頃]

NFI代表取締役 日野 眞克

(1)待ったなし!人の生産性向上
(2)新業態、PB開発による差別化戦略
(3)DXの推進によるイノベーション 等

[第2講座]
データドリブン経営のススメ

[14時40分頃~16時10分頃]

リテイリングワークス株式会社代表取締役 佐々木 桂一氏

(1)データに基づいたデータドリブン経営への転換
(2)情報技術を活用した強い「組織づくり」
(3)人の生産性向上のための数値管理のポイント 等

※講演時間は予定よりも短くなることも長くなることもあります。

会場案内図

会場詳細

〒101-0045
東京都千代田区神田鍛冶町3-2-2
エッサム神田ホール1号館6階(601)
URL:https://www.essam.co.jp/hall/access/#access_1

【アクセス】
●JRでお越しの方
神田駅東口より徒歩1分
●東京メトロ銀座線でお越しの方
神田駅3番出口より徒歩0分

注意事項

①会場へお越しの方は開催会場をご確認の上、お間違えの無いようご注意ください。
アーカイブ動画の配信はいたしません。当日参加でのみセミナーのご受講が可能です。
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月刊MDのもたらした交流は将来のM&Aに大いに影響を与えた

月刊マーチャンダイジングにゆかりのある経営者の皆様から、創刊25周年を記念してお祝いの言葉をいただきました。今回は、株式会社レデイ薬局 代表取締役会長 三橋 信也氏のコメントをご紹介します!

月刊マーチャンダイジング25周年本当におめでとうございます。主幹である日野先生とは同郷でしかも同い年ということもあり、当初より親近感を持っていましたが、今ではドラッグストアの成長を牽引する指導者として心より尊敬する存在へとなっています。

月刊マーチャンダイジング発刊当初は、ドラッグストアを含めた業界紙もいくつかありましたが、その多くが出店動向や業界の法律変更、企業の大きな経営戦略のみの内容でしたが、月刊マーチャンダイジングだけは早くから個々の企業が発展するための現場の情報、指標となる経営数値、最新の売場のトレンド情報を掲載されていました。

現場主義と数値管理の必要性を大事にする日野先生が、業界の情報を伝えるだけでなく、どうすれば個々の企業が成長できるかを考え、その情報提供を具体的に行ってくださった事が、私どもの企業だけでなく、今日のドラッグストアの成長と、牽いては地域のお客様の顧客満足に大きな影響を与えたことはいうまでもありません。

さらに国内の業界動向だけでなく、海外のドラッグストア、他業態の最新トレンドの視察も行い、国内の業界発展に大いに貢献しただけでなく、更に取引先だけでなく同業者間の交流まで発展し、それが将来のM&Aに大いに影響を与えたことはいうまでもありません。

結果、海外で数々の日本の優秀な同業者の方々とご一緒することが自分だけでなく同行した人達の成長とってもどれほどプラスになったか計り知れないものがあります。

加えて、具体的な経営情報だけでなく、日野先生ならではの小売業としてのドラッグストアの理念というものをあわせて示唆いただきご指導いただけたと思っています。

何のために経営するのかという会社にとって一番大事な骨格となる部分をご教示いただいたことは経営者にとっては最も勉強になった事は勿論、感謝に尽きません。

今後ともドラッグストアの発展とともに、また次代のドラッグストア経営者の成長のために、さらなるご活躍と、混迷した時代を乗り切るための羅針盤としての月刊マーチャンダイジングの役割をさらに進化されることを心より願っています。

月刊MDを手元に置き「不易流行」の大切さを学び続けていきたい

月刊マーチャンダイジングにゆかりのある経営者の皆様から、創刊25周年を記念してお祝いの言葉をいただきました。今回は、株式会社マツキヨココカラ&カンパニー 代表取締役副社長 塚本 厚志氏のコメントをご紹介します!

「月刊MD25周年」、心よりお祝い申し上げます。

「GMROI」は、月刊MDで学んだ私が小売業の経営に関わるようになった今でも最も大切にしている指標の一つです。

また、私の会社のデスクと、自宅のデスクには、流通小売業に関わる者の共通言語集「流通用語集(ニューフォーマット研究所発刊)」が常に置かれています。VUCAの時代と言われますが、「若くして学べば、壮して成すあり。壮して学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず。」

これからも月刊MDと流通用語集を手元に置きながら「不易流行」の大切さを学び続けていきたいと思います。

振り返ってみると、今から20年ほど前に月刊MDを知り、同じ時期に日野代表にお会いしました。以来、月刊MDを毎月欠かさず読み、旬な情報と共に小売業の基本原則を幅広くかつ深く掘り下げられた記事を拝読し、学ぶ機会を得て頭の中が整理されていることを実感しました。小売業を科学的に分析することによって、論理的思考を身につけることができました。

また、当時、株式会社セイジョーの代表をしていた私は日野代表に営業幹部向け特別セミナーをお願いしたこともあります。月刊MDを通して伝わってくる流通業に対する情熱とジャーナリストとしての客観性を併せ持つ紙面をはるかに凌駕する生セミナーに心が熱くなった記憶が今でも甦ってまいります。

そしてその初めてのセミナーの夜の部では、日野代表を囲み車座となり流通小売業の将来について皆で夢を語り合いました。

しかし、その後はどういったわけか、日野代表が「島人ぬ宝」を歌い出し、皆で肩を組みながらの合唱で終え、折角のセミナーの内容は翌日にはすっかり忘れてしまったことを昨日のことのように想い出します。

「何を学んだか?」より、日野代表という素晴らしい方との出会いが、その後私が仕事に取り組む上での大きな財産となりました。

マツキヨココカラ&カンパニーのグループ理念は、未来の常識を創り出し、人々の生活を変えていくことです。

美と健康という分野を軸に新しい技術やアイディアを積極的に取り入れ、人々の生活がもっと楽しさに満ちあふれたものになることを目指し、人の想いに敏感で身近な存在であり続けることを大切にし、生活や地域に、より大きな安心と喜びをお届けするために挑戦してまいります。

株式会社ニュー・フォーマット研究所様におかれましては、今後も、当社を、そしてドラッグストア業界を支えていただける貴重な専門誌の発行やセミナーの開催を引き続きお願いいたします。

流通小売業に対する探究心と幅広い情報をもとに、多くの提言をされている貴社に、心より敬意と感謝申し上げます。益々のご発展を祈念申し上げます。

このような時代だからこそ、業界の発展に向け、頑張ってもらいたい雑誌

月刊マーチャンダイジングにゆかりのある経営者の皆様から、創刊25周年を記念してお祝いの言葉をいただきました。今回は、株式会社マツキヨココカラ&カンパニー 代表取締役社長 松本 清雄氏のコメントをご紹介します!

月刊マーチャンダイジング誌(月刊MD)が創刊25周年を迎えられたとのこと、心よりお祝い申しあげます。

日本チェーンドラッグストア協会の田中事務総長をはじめ、多くのメーカー企業様、卸売り企業様、小売り企業様のトップの皆様が発起人となられたことも、この月刊MD誌が業界発展に貢献された賜物と考えております。

さて、月刊MD誌が創刊されたのは1997年ということで、ドラッグストアという業態の勃興期でした。当社はその1年前に「ドラッグストア=マツモトキヨシ」のイメージ戦略をスタートさせる全国ネットでのCM展開を開始したことで、当社ブランドとドラッグストアという業態を日本全国に認知していただくことができたものと思っておりますので、そういう意味では、お互い業界の発展に一定の成果をあげることができたと考えます。

その後、我々ドラッグストアは、競争・競合する企業が大同団結し、日本チェーンドラッグストア協会を立ち上げ、一つの目標に向かって進むことができたのも、このような業界を支援いただいた御誌があってのことと感謝申しあげます。

月刊MD誌の創刊当時のことを思い起こしますと、私は店舗の一担当者として実務を経験している頃でした。1995年の入社と共に、業界売上高ナンバー1企業となり、500店舗構想の中で集客力の高い都市型での店舗展開に加え、都市部でお買い物いただいていた若いお客様が結婚して郊外に住む将来においても継続して当社の店舗をご利用いただきたいとの考えから郊外型ドラッグストアの出店を加速させており、当社の急成長期でもありました。

それらの甲斐もあって、1999年に店頭公開から東証二部を飛び越えて東証一部に上場できたことは、今でも感慨深いものがあります。

さて、月刊MD誌には、“店舗の現場で直ぐに使える実務にこだわった”「店舗現場主義」“売り方が変われば売れ方が変わる”という信念を貫く「仮説・実証・検証主義」、“経営トップから聞く”「トップ直結主義」という三つのコンセプトを持って取材・編集・発行され続けたことは、各店・各社の改善や成長にもつながり、その実績が読者の数にも表れているものと考えます。

代表の日野様の著書「ドラッグストア拡大史」の中で、2014年のマツモトキヨシホールディングス社長就任時、私が決断した大量閉店について触れていただております。私は入社以来、店舗やお客様に近く、ともに働くスタッフと同じ視点で、客観的に会社を見てきました。

そして、2011年に東日本大震災が発生した時にマツモトキヨシの社長に、2014年の消費税再増税の時にマツモトキヨシホールディングスの社長に就任しました。競合各社がM&Aや出店強化による規模拡大を図るなか、このような環境の中で、如何に将来の成長に向けた方針を打ち出すかが大きな課題でした。

そして、厳しい状況だからこそ「他社が成長を望む時期に、敢えて土台(基礎)を作り直し、収益の伴った規模の拡大を推進できる企業づくりを目指す」ことにしました。

また、“お店で働いているとき”に、“本部で指示を受けたとき”に、“お客様として利用したとき”に、おかしいと思ったことを修正しよう、そして、現場で現実に携わっている皆さんに力を借りて、その意見を吸い上げられる会社にしようと考え、各種の改善を図ってきました。

その成果が業績に表れたことは、全てのステークホルダーに感謝したいと思っております。正に、当社の改善も月刊MD誌のコンセプトの重要性を現実化したものとなりました。日野様ご本人も、「紙の業界紙・誌の未来は明るくない」とコメントされているようですが、本がネットで販売され自宅に届く、本がWEBで読めるなどのサービスが広まっても、生き残る本屋さんもありますし、紙の本そのものを好んで手にして読まれる方も多くいらっしゃいます。

これはどのような業界でも同じことだと思いますが、いかに「魅力のあるもの」「必要とされるもの」「他に変えられないもの」になるかだと思います。このような時代だからこそ、業界の発展に向け、御誌にはますます頑張っていただきたいと思います。

日野様、月刊MD誌にかかわるすべての皆さまのご健勝と、そして創刊50周年に向けてさらに飛躍されることを祈念申しあげます。

売場、数値、用語、DX…変化に追従し期待に応じてくれる雑誌

月刊マーチャンダイジングにゆかりのある経営者の皆様から、創刊25周年を記念してお祝いの言葉をいただきました。今回は、株式会社ツルハホールディングス 代表取締役社長 執行役員 鶴羽 順氏のコメントをご紹介します!

月刊マーチャンダイジング25周年おめでとうございます。

25年間、業界誌として常にリードされてドラッグストア業界を支えて頂いたことに深く感謝いたします。

私は、ツルハの店長になった時から月刊マーチャンダイジングの購読をさせていただいています。おそらく24年ぐらい購読しています。当初より現在はだいぶ分厚くなりました。

自身が店長職の頃は月刊MDのタイトルにもある「売り方で売れ方が変わる」という内容が大変印象深く残っています。陳列の考え方や方法は月刊MDの記事や写真を参考にさせてもらったことを覚えています。当時は特にこのような「陳列」や「売場作り」の記事が中心で多かった印象です。

また当時、北海道の店舗の店長であった立場として、全国のドラッグストアの色々な企業の売場写真を雑誌の中でも見るだけでも刺激的でした。

当時は出張などが無い立場でしたから、道外の企業の情報は全て月刊MDのみでした。その後、SVや営業部長になり、雑誌の見方も変わってきました。「本社でどれだけ良い商談、施策を行っても、現場での実行はほとんど行われていない。」「現場で実行されなければ意味がない。」という現実を理解しました。

いわゆる「指示の徹底」「完全作業の難しさ」にどう対処していくかという課題に大きく興味を持ちました。そのためには「止める作業」を決め、「仕組み作り」を行うことなどの様々な方法を学びましたが、この点に関しては、常に課題が消えない永遠のテーマだと思っています。

今後も人手不足が続く中で、生産性、現場での作業実現度を向上させていくことが現場では大きな課題ですので、引き続き月刊MDの情報を活用して取り組みたいと思います。

色々な内容がある中で、日野先生がよくおっしゃっている「凡事徹底」が非常に重要であることも、自身の様々な経験の中で実感できたことも大きな収穫でした。

また、月刊MDを通して「用語」「数値」に関しても勉強させて貰いました。ツルハでは店長職が全員、月刊MDを購読していることもあって、社内での「共通用語」としての理解も深まりました。例えば「射的陳列」「ボイド(棚札消滅)」などは月刊MDならではの用語だと認識していますが当社では頻繁に使われています。

私が経営幹部になってからは、経営者のインタビューや業界全体の動向記事などで現状の把握、今後の見通しなどを理解するのに役立っています。

こうして振り返ると、私の場合は、自身のその時々の立場によって月刊MDに求める興味や見方は変わってきたものの、その時々で期待に応えてくれている雑誌だと思います。

新入社員から経営幹部の方まで、あらゆる立場の方がそれぞれの視点で読める雑誌だと思います。ここ数年は、食品や調剤事業、そしてDXに関する記事が非常に増えた印象です。

これらはドラッグストア各社が主力事業、もしくは今後の重要課題と捉えている分野だと認識しています。

今までも、月刊MDが25年の歴史の中で、ドラッグストアが様々なラインロビングの挑戦やニューフォーマットへの取り組みを記事にして紹介することによって、ドラッグストア業界の発展を支えてきた功績があると思います。

今後もドラッグストアが地域のお客様に必要とされる生活インフラとしての役割を果たせるよう、ニューフォーマット研究所及び月刊MDには、引き続き情報発信や問題提起などをお願いしまして、ドラッグストア業界の更なる発展の支えとなって頂ければ幸いです。

「雑誌」という媒体から「オンライン」へと変わっていく非常に難しい時期かとは思いますが、既に対応している早さも流石だと思います。

今後も30年、50年と続くことを願っております。25周年おめでとうございます。

当社の存続は「月刊MD」を全店長が愛読し、勉強してきたおかげです。

月刊マーチャンダイジングにゆかりのある経営者の皆様から、創刊25周年を記念してお祝いの言葉をいただきました。今回は、株式会社ツルハホールディングス 取締役会長 鶴羽 樹氏のコメントをご紹介します!

がっしりした身体であるにもかかわらず、照れくさそうに北海道札幌市にある当社のボロボロの本社に来た男がいました。それは今から十数年前(17~20年程前だろうか?)のことでありました。

アポイントはあったと思いますが、この男は一体何しにきたのかと思いつつ名刺交換をしたところ、株式会社ニュー・フォーマット研究所・日野眞克と書かれていました。早速「今日のご用件はなんでしょうか?」と尋ねると、「ツルハの取材に来た」のだとおっしゃいました。

この頃のツルハは、店舗数約450店、売上高は約1,200億円くらいだと思います。この程度の規模の会社だから、取材しても大した記事にならないだろうと思うと同時に、初めて聞く株式会社ニュー・フォーマット研究所という会社、日野眞克という人物が何者かもわからないこともあり、少々警戒しながら取材を受けたので、お互いにぎこちない対応であったと思います。

取材の内容はほとんど覚えていませんが、薄っぺらい雑誌を私に見せて、簡単に説明をして「これを読んでください」と言って頂いたのが「月刊MD」だったのです。

これっきりでまず会うことはないだろうと思いましたが、頂いた月刊MDを読んでみると、小売業界(特にドラッグストア関連)の記事が多く掲載されていました。現場目線で感じたこと、それが読者にとってはすぐに現場で実行できるようわかりやすく解説してくれている、この本は大変参考になる、当社の社員の教育に充分使える、即座に全社員が月刊MDを購読すべきだと考えたわけです。

当時の店長及び商品部の社員等が自ら購読するようになり、発行日が待ち遠しいという声も聞かれました。

その後何度も取材を受けましたが、日野先生は日を追うごとに大きく成長してきました。よく居酒屋で酒をのみましたが(日野先生は酒がめちゃめちゃ強い)、現場主義を貫き、はっきりと物事を言って、当社を指導してくれました。またわかりやすく解説してくれました。

ドラッグストア業界も今まさに競争が激しくなり、経営環境がさらに厳しくなると予想されますが、この「月刊MD」はこのことを解決してくれる手段として、今後もおおいに活用できるものと私は考えております。

当社が今存続しているのは「月刊MD」を愛読し、店長会議等において教科書として全店長が持参し、勉強してきたおかげです。「月刊MD」はかけがえのない、当社の力の源となっています。

最後になりますが、この度は「月刊MD」25周年誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。日野先生はこれからもますますお忙しくなると思いますが、まだまだ小売業界のために頑張ってください。これからも色々とご指導の程よろしくお願い申し上げます。

日野先生に贈る言葉

贅沢と虚栄を特に好むなら、その末路は実に哀れである。
勤勉努力は人生を必ず幸福にするものと固く信じる。
…日野先生には関係ないかな?
鶴羽 樹