AWSに全面移行完了、R&Dの組織も立ち上げ
──御社は2017年に基幹システムをすべてAWS上に移行したそうですね。
長谷川 昨年、MDシステムをはじめとする基幹システムのAWS上への移行が終了しました。当社はPOSも内製しているのですが、さまざまな決済機能を付けるなどの機能面の開発が完了し、店舗への展開段階に入りました。現在は1ヵ月に1、2店舗のスピードでPOSの入れ替えをしています。ハンズのシステムはひとつの区切りを迎えたといえます。この2、3年はAWSへの移行作業にエンジニアのリソースを全体の7割程度費やしていましたので、攻めの情報活用はできていませんでした。移行が完了したことで、今後は多くのリソースをユーザーにとって意味のある機能の開発に割くことができると考えています。
また、R&D(研究開発)の部隊もつくりました。IT技術は、実際に導入する前に実験をする必要があります。そこで、実際に採用するかどうかはわからないけれども、いろいろな新しい技術の実験をする部隊を1年ほど前につくったのです。私はこういった機能はどの企業も持つべきだと考えています。
2018年3月には、画像を使った売場改革のための「Postfor」というサービスのβ版もリリースしました。これまでは、スーパーバイザーが店頭を巡回して、気が付いたことを写真を使って店舗や本部に共有する際、どこかの共有フォルダに画像をアップロードしたり、メールに添付したりする程度で、だれがどうチェックしたとか、店舗がきちんと指示どおりに対応したかなどを管理する術がなく不便でした。また、写真の下に文字で「右上のあたりが汚れています」「上から2段目の棚の商品のフェースを増やす」などと指示を書いたりしても、わかりにくかったりします。
「Postfor」は、スーパーバイザー(SV)がiPhoneなどで撮影した売場写真に、直接指示を書き込むことができます。その写真をアップロードすると、該当する売場の担当者に通知が届きます。その通知を見た売場担当者が修正した売場の写真をアップロードすると、今度は担当するSVに通知が届き、SVが「ちゃんと直っているね、OK!」というようなコメントを付けることができる、というような仕組みです。
──簡単な仕組みでも非常に便利そうなツールですね。画像といえば、最近はAIとカメラを使って自動で店内や棚前のお客の行動情報をデータ化するようなサービスがたくさん登場しています。そのあたりの導入に関してはどのようにお考えでしょうか。
長谷川 「お客さまがどこに滞留しているかがわかります」や「お客さまの性別や年代がわかります」というようなサービスはいろいろありますが、私は「では次にどのようなアクションを取ればいいのか」ということを、理由をつけて考えないといけないものに関しては懐疑的にとらえています。「Postfor」は単なる画像共有のための単純なアプリですが、明確にアクションが見えて改善につながります。10人いれば10人が納得するようなわかりやすい仕組みに、私たちは技術を投入していきたいと考えています。
物流倉庫の技術を店舗に適用する
──現在はどのような技術分野にご興味をお持ちでしょうか。
長谷川 倉庫・物流の技術に興味があり、それを店舗に適用できないかと考えています。私はこれまで、ECの技術を実店舗に組み込もうと考えていました。たとえば決済の例でいえばECで商品を3つ購入し、10分後ぐらいに「やっぱり2個でいいや」とおもった場合は、1個だけキャンセル処理をすることができて、実際は2個届くというような処理ができますよね。
でも実店舗でクレジットカードを使って3つの商品を購入した場合、1個だけ返品したくても、一度3個全部返品して、もう一回2個購入してもらうという流れを取る必要があります。これはクレジットカード業界の常識です。
──差額だけ返金するというわけにはいかないんですね。
長谷川 はい。いきなり返金レコードを上げることができません。でもECではそれができているわけですから、店舗でもできないわけがありません。ということで、当社ではそのような仕組みを研究して実装しました。
このように、これまではECの技術をいかに店舗に適用するかということを考えていたのですが、今後はECだけではなくて倉庫・物流業の技術を店舗に持ち込もうと考えています。われわれがぼんやりしているうちに、倉庫・物流業の機械化はものすごく進みました。そのノウハウを店内物流にも生かそうと考えています。
これから研究したいとおもっていることのひとつは、品出しの効率化です。まず品出しに人件費の何割を掛けているのかとをきちんと測定してみたい。店舗には「売場」と「バックヤード」があって、売場で欠品を見つけたらバックヤードを行き来して、品出しして補充します。中国では、すでに店舗の中にシューターがあって、店内物流に活用しているような企業がありますが、たとえば私たちも売場とバックヤードをつなぐシューターのようなものをつくって、バックヤードから商品を売場まで移動させることができるかどうかなどを、実験してみたいのです。
──品出しは単純な作業で、小売業の本質的な意味とは少し離れたところにありますからね。
長谷川 将来的にはもしかしたら売場の棚の下にロボットが付いて、品切れしたら棚がバックヤードまで自動で移動する、なんてこともあるかもしれません。棚がバックヤードまで移動したら、そこで待ち構えている人が商品を陳列して、棚が自動的に売場に戻る。倉庫・物流業のテクノロジーやノウハウを店舗に適用するというようなことを真面目に考えてみてもいいのではないかなとおもいます。
──そうするとソフトウェアだけではなくて、ロボットのような物理的なハードウェアも重要になってきます。
長谷川 そうですね。売場の現場の方はテクノロジーがどう進んでいるかまではわかりませんので、情報システム部が積極的に研究していかなければなりません。金銭的な部分を含めて、いまが投資のチャンスなのか、あるいは、この技術はまだ自分たちの規模では採用は難しいから、いまは塩漬けにしておいて、2年後に再度検討しよう、というような判断ができなければ意味がないのだとおもいます。「このボタンのサイズをもっと大きくした方がお客さまには見やすい」といった、顧客満足度を向上させるような取組みは、それはそれで行っていく必要がありますが、いままで存在しなかった領域に新しいテクノロジーを適用することで、小売業はもっともっとジャンプアップしていく必要があるとおもいます。
数字の推定に関するAI活用には懐疑的
──お話を伺っていると、CIO(最高情報責任者)やCTO(最高技術責任者)の方の思想が、企業の情報システムには如実に表れているように感じました。AIの導入についても、積極的に挑戦している企業がある一方で、長谷川さんは非常に慎重ですね。表層的な部分ではなく、売場の根源的な部分の改善を常に考えていらっしゃる印象があります。
長谷川 そうかもしれません。とくにAIについては、私は映像や画像、文字のようなものに対して活用するのはいいとおもうのですが、数字の推定についてはまだ懐疑的なんです。
以前、東急ハンズの過去2年間の売上データを全部AIに読み込ませて、次の年の売上を推定するということをやってみたのですが、全然当たりませんでした。小売業は売上が前年比50%になることはなくて、98%とか105%とか微妙な推移をします。でもそれを過去の売上データからAIに推計させると、店別の売上高が前年比70%とか130%というような、あり得ない数字になってしまうんです。それはデータの量が少ないからだということで、日別・単品別のデータを読み込ませてみたところ、さらに数字が踊ってしまいました。
毎日単品が100個、200個売れるような業態ならいいのですが、われわれの業態には毎日の売れ個数が、0、0、1、0、0、1、0…というようにロングテール型の商品が多いのです。このように「暴れた」数字をAIで分析しても、暴れた結果しか出てきません。1日に2桁売れるような商材の単品の需要予測はうまくいくかもしれませんが、少なくとも東急ハンズという業態ではあまりうまくいきませんでした。ただ、文字や映像、音声はAIなどを使って分析する意義があるとおもっています。
鍵になるのはデジタル企業との連携
──御社は東急グループ以外の小売業のシステム開発も受託されていますが、割合的にはどれぐらいのお仕事をしているのですか?
長谷川 委託の開発にはだいたいエンジニアの半数が携わっていますが、なかなかインターネットの技術を使って業務システムをつくるということの理解が進まないのが難しいところです。基本的に閉域網※1の中でWindowsのクライアントマシンとホストコンピュータとがやりとりしているような仕組みを使われている企業さんは、社内システムをインターネットに接続することに拒否反応を示すことが多いんです。基幹システムをクラウド上に移行して、インターネット上にあるAPI※2をたたくというようなことになると「?」となってしまいます。
※1 閉域網…インターネットとは別に構築された専用の通信回線のこと。
※2 API…Application Programming Interfaceの略称。基本ソフト(OS)やアプリケーション・ソフト、インターネットのサービスなどが、自らの機能の一部を、ほかのソフトやサービスから簡単に利用できるように、機能の呼び出しやデータの受け渡しなどの手順を定めたルールのこと。
──小売業ではなかなかインターネット技術の活用が進みませんね。
長谷川 そうですね。「在庫データをインターネット上に置いてお客さまに見せる」といった瞬間に固まってしまわれます。やるなら閉域網にある基幹システムからデータをコピーするから、インターネットとつなぐのはそちらだけにしてほしいとおっしゃる。
でも、そのような構成では柔軟なシステムをつくることが絶対にできません。世の中にたくさん存在しているSaaS※3やAPIを使って、自分のデータをインテグレートするということを想像されていないわけです。当社が迅速にサービスを提供したり、改善することができるのは、データもシステムもインターネット上に全部置いてあるからなんです。
ときどき、いまでもWindows XPを使っている企業さんがいるのですが「別に閉域網の中で使っているだけだから問題ないよ」とおっしゃる。こういう企業さんは、「インターネットは基幹システムと全然違う世界のもの」と考えていて、世の中の動きに置いていかれていることにすら気が付いていないのかもしれません。
※3 SaaS…Software as a Serviceの略。必要な機能を必要な分だけサービスとして利用できるようにしたソフトウェア(主にアプリケーションソフトウェア)もしくはその提供形態のこと。一般にはインターネット経由で必要な機能を利用する仕組み。
──小売業においては、企業ごとのITリテラシーの差に格差があります。
長谷川 私は、いまの時点でメールを置き換えるのであれば「G Suite」か「Office 365」の2つ以外選択肢はないとおもっていますが、大企業になればなるほど「クラウド上にメールを置くなんて危ないからできない」とおっしゃる。聞くと、インターネットにつなげていい端末が制限されているという。「それでは何もできません」となってしまう企業さんが少なくない。
──新技術の採用に消極的な小売業が多いですよね。そうこうしているうちにAmazonのようなEC企業がどんどん成長して、さらに格差が広がっている印象があります。
長谷川 だからリアルリテール企業の買収を検討しているEC企業は多いのではないでしょうか。逆に、われわれのようなリアルリテールが中心の企業は、ブランド力があるうちに、ネット企業さんとどんどん業務提携などをしていく必要があるとおもいます。カインズさんとDIY FACTORY(大都)さんの提携は「天才的だな」とおもいました。
リアルリテール企業が自社だけでやっていても無理なんです。どれだけデジタルマーケティングの担当者が社内にいるといっても、素人が片手間にやるようでは駄目で、デジタルを専業でやっている人たちと組んでがっつりやっていかないと間に合いません。
社内にエンジニア組織をつくるには
──長谷川さんのこれまでのお仕事を見ていると、社内にある程度の内製のためのエンジニアを抱えていらっしゃいますね。以前お話を伺ったときに、小売業の売場生え抜きの人と、外部から採用したエンジニアとが同じ組織に所属することについて文化的な相違があり困難を抱えていらっしゃるように感じました。最近はどのような状況なのでしょうか。
長谷川 そのころに比べると状況はかなりよくなっていて、いまは混合チームでよいという結論に達しました。改善した理由のひとつは「スクラム※4」という開発手法を導入した点です。スクラムの考え方がわれわれによく合っていたようで、よいチームビルディングにつながりました。ただ、いまはエンジニアの採用そのものがなかなか難しい状況ですね。
※4 スクラム…開発手法のひとつ。かんばん方式やペアアプロミングなどが特徴。
──エンジニア採用は完全な売り手市場ですからね。
長谷川 経歴がピカピカのエンジニアさんは、サイバーエージェントやグリーなどのネット系企業を選択することが多くて、小売業を選択する人はそう多くはありません。たまに、「オレ、キラキラしたネット系も嫌なんです」という人もいる。技術的には比較的新しいのが好きでも、性格的にネット系やソーシャルゲーム系は嫌という人で、小売業のことを面白がってくれる人を探していく感じです。
──小売業がシステムを開発する部隊を社内に持ちたいと考えたときには、どのような手順を踏めばいいのでしょうか。
長谷川 中途採用しかありません。内製化をするという情熱を持ったリーダーがいないと難しいですよね。そういう人材を中途採用して情報システム部のトップに据える必要があるのではないでしょうか。
それと、私が考えているのは、小売業の会社のITシステムは、グループの垣根などを越えて、小売業同士で共同出資会社でもつくった方が、一社一社個別にやるよりは楽なのではないかということです。
──近い将来そのようなことも起きるでしょうね。基幹のMDシステムのような、どこの会社も使っているほとんど同じ仕組みを、それぞれの会社が独自につくり、商品マスターも別々に持っているという状況は、社会全体の生産性を下げています。
長谷川 そうはいっても、さすがに一足飛びに基幹システムを共同構築するというわけにはいきませんから、たとえばR&Dの部隊を何社かで出資して運営していくというのはあるかもしれません。
大切なのは、実行することです。「日本人は、Read Only No Actionだ」と外国の方にいわれたことがあります。勉強はすごく好きで、セミナーなどに足しげく通うのですが、同じテーマで何回も同じ話を聞いているだけ。勉強しすぎです。小さい領域でもいいからまずはスモールスタートで始めてみればいいのではないでしょうか。どれだけ座学で勉強しても、実際にやってみたら動かないこともあります。動かしながら勉強してみることが大切です。
──ビジネスもシステムも、つくって動かしてみることで課題が出てきて、次はああしよう、こうしようという方向性が見えてきます。いずれにせよ、情報システム部がもっと企業の中で価値を発揮していかなければならない時代になっているのですね。今日は大変興味深いお話をありがとうございました。