豪雨被害から人と店を守る

浸水と物流ストップからの店舗復旧へ ~レデイ薬局の災害対応 後編~

「平成30年7月豪雨」では市内全域に避難指示が発令され、臨時休業の対応や情報収集に追われた㆑デイ東大洲(ひがしおおず)店。今回の記事では、浸水による被害や道路の不通による物流ストップを乗り越え、店舗復旧にこぎつけるまでの本部や現場スタッフの奮闘を紹介する。(月刊マーチャンダイジング2018年10月号より転載)

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前編の記事はこちら

①店舗確認

2018年7月8日(日)
小康状態になった雨 9日の復旧作業への準備開始

7日(土)朝、3店舗の休業を決定してから、越智氏をはじめとする店舗関係者は自宅待機となる。雨は7日の日中は激しく降り続き、越智氏の住む2階建てマンションの1階部分はほぼ浸水。社用車は高台にある場所に移動していたものの、自宅からは出られない状況であった。東大洲店が浸水したのも、この日の午後比較的早い段階だったのではないかと推測できる。

大洲市の地形は場所により高低差があり、道路を隔てて隣り合う建物でも浸水したもの、免れたものがあり建物の立地により明暗が分かれた。

7日夜になり大洲市の雨は小康状態になった。道路の水も引き越智氏が店舗確認できたのは8日(日)の午前9時ころのことだった。7日に休業した3店舗で浸水被害に遭ったのは東大洲店のみで、8日、ほか2店舗は営業を再開することができた。

越智氏は東大洲店の店内に入り、店内の被害状況を写真に撮り、店舗運営部長に連絡。連絡を受けた本部では8日は現状のまま、9日に復旧作業を行うことを決定し、本部からの応援態勢、メーカー、ベンダーへの協力依頼を健康フェスタの開場前に行った。

田村氏の自宅がある伊予市から店舗までの道は、8日の時点でも開通していなかった。田村氏は東大洲店の写真を送ってもらうなど、自店の被害状況の把握に努め、9日の復旧作業に従事できる従業員の確認作業を行った。この日の大洲市の天候は雨が降ったりやんだりという程度であった。

7日までの大雨により大洲市内で営業している小売店は少なく、大洲店には水や食料などを求めて多くのお客が訪れた。越智氏は休業中の東大洲店から水や菓子パン、ベビーフード、紙食器などを大洲店へと移送する作業を行った。

浸水時の水位を示す田村店長。下2段目まで水が浸入した

②本部の対応

2018年7月8日(日)
四国への物流がストップ ツルハからも支援便が

本州と四国を陸路で結ぶ3つのルートは、豪雨により7日時点でいずれも不通。四国内にあるレデイ薬局の物流センターに土曜配送される予定の納品が滞る事態になっていた。

「瀬戸大橋※1、しまなみ海道※2が開通したのが8日の夜中くらいだったでしょうか、そこから物流が動きだすようになりました。センターへの到着が送れる分仕分け作業も遅れ、食品を中心にカップラーメンや水など緊急時に需要の高い商品は、発注しても限られた量しか手配できないという状況が続きました。ツルハグループになってよかったとおもったのはツルハグループマーチャンダイジングの江口社長が10トン車に水などの商品を積み必要なエリアに配送するという協力を申し出てくれたことです。当時トラックが到着できるのは岡山県までだったので、県内の数店舗に直納してもらう手配を取りました」(白石氏)

※1 岡山県倉敷市と香川県坂出市を結ぶルート
※2 広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶルート

店舗復旧

2018年7月9日(月)
従業員、本部スタッフ、協力会社総勢90人で復旧作業開始

田村店長の号令の下、東大洲店の従業員たちは午前8時、店舗復旧のため店に集合した。本部からの応援メンバーに加え、前日に依頼していたベンダー、メーカーの応援部隊も駆け付け東大洲店復旧チームは90人ほどになった。

「当日は道路が復旧していたこともわかっていたので、午前7時前には東大洲店に到着しました。当日駆け付けた従業員の中には、自宅が浸水したり断水になるなど困難な状況にある人もいましたが、自分がドラッグストアという地域に貢献する店に勤務しているという責任感から店舗復旧に駆け付けてくれた人もいました」(田村氏)

店舗復旧にあたり本部からは営業本部副本部長を筆頭に、商品部長、店舗運営部長の3人が陣頭指揮を執り作業が進められた。第一に行ったのが、浸水で廃棄処分となった商品の運び出し。それらすべてをいったん駐車場に集め、罹災証明用の写真を撮った後、設置されたコンテナの中に廃棄する作業が行われた。

当日は炎天下で作業に携わる人たちの熱中症に注意する必要があった。田村氏によると、冷蔵庫が浸水で故障したので、冷たい飲み物を十分には確保できなかったが、二次被害を出さないためにも、水や塩分の補給には注意したとのことだ。

店内から廃棄物を出し終わると、床や什器の清掃に取り掛かった。店舗内の床清掃、消毒には外注した清掃業者も加わった。

「事前の報告により什器の下段が浸水被害に遭ったということだったので、最下段と下から二番目の棚にある商品は前日に本部から発注をかけていました。9日午前に発注した商品が到着。廃棄物の撤去、床の清掃・消毒、商品の補充を終え東大洲店を再開させたのは10日の正午ころというスピーディな展開でした」(白石氏)。

田村店長は当初、被害状況から見て店舗の再開までには1週間くらいかかるのではと心配したが、作業に加わったメンバーのチームワークで、驚異的なペースで店は復旧していった。

越智大介氏(左) 田村博氏(右)

豪雨被害からの教訓

状況把握、情報の一元管理の難しさを痛感

大雨による被害として平成以降もっとも多くの犠牲者を出した今回の災害から、どのような教訓を得たかを聞いた。

「縦横の連絡の重要性をおもい知りました。店舗の従業員同士横の連絡を取り合い、それを上に上げる。そして上からの指示や情報を横に展開する。こうした縦横の連絡をいかにスムーズに取れるかが、災害時には大切だと実感しました」(田村氏)

「店舗運営部長から最初に『従業員の安全を何より優先させろ』という指示を受けたときには、この会社に入ってよかったとおもいました。教訓でいうと『判断』と『決断』することの難しさ、大切さを学びました。7日に店を休業するという決断を下さなかったら従業員やお客さままで危険にさらすことになったとおもいます。難しい判断だったとおもっています」(越智氏)

店舗という「現場」に直面している店長、SVの教訓に共通しているのは、状況をつかむことの重要性だろう。店長は緊密な横の連絡で状況をつかみ上に報告し、SV自身も集まった情報をもとに判断、決断した。

8日以降本部に常駐して、全出店エリアから情報を集め一元管理して対応を協議し決断、指示した立場の白石氏はこう語る。

「今回の災害で考えさせられたのは『避難指示』という言葉の重さです。避難指示が出ているエリアで店を開けるのか、従業員の安全をいかに守るのか、どの小売業も迷ったとおもいます。『避難指示』区域の状況もさまざまあって、一辺倒に開けろ、閉めろといえないので、SVや店長の情報のもとに考えなければいけないと、より一層考えさせられました」

SNSは即時性あるが真偽の裏が取りにくい

先述のように、白石氏は情報収集のためにSNSやインターネットを活用した。そこから得た教訓を次のように語る。

「広島県呉市の従業員が断水でお風呂に入れないという状況が続いたので、車で岡山の入浴できる施設まで連れていこうかと考えていたときに、インターネットで呉地域で営業中の温泉一覧のような情報ページがあり、それを参考に近くの入浴施設を案内することができました。

Twitterは速報性や瞬時に広がる強さはありますが、真偽のほどは確かめようがありません。私たちも状況を把握するためにTwitterを活用しましたが、勘違いやうわさも拡散してしまうという難点もあります。

速報情報としては頼りになるが、それをもとに何かアクションを起こすというレベルまでは至らないといった感想です。

今後、SNSを正式に緊急時対策用に使う予定です。社内SNSアプリを幹部やSV50人ほどをメンバーにして導入する予定です。

先ほど店長の話にもありましたが、今回従業員の対応には本当に頭が下がります。自分たちが大変なときに店や地域を優先させ、現場に駆け付けてくれました。こうした従業員の貢献は社長の三橋信也からも全社向けのビデオ朝礼で報告しましたし、今後折に触れ紹介していこうとおもっています」

今回の一件では、①広域で起こる自然災害対応の難しさ、②「避難指示」という新たな対策基準、③LINEを使った連絡網の有効性、④SNS、インターネット情報の活用法などが教訓として浮き彫りになった。

また、自分の困難よりも店舗復旧を優先させた従業員がいるように、同社では企業文化の定着に成功している。これは、不幸な出来事からの大きな収穫だろう。同社の企業スローガンは「すべては『お客様』のために」である。具体的なマニュアル整備とともに、企業文化の発信と定着も災害対策となり得る。

くすりのレデイ東大洲店のスタッフの皆さん