万引防止活動は規範意識を向上させる一助になる
─万防機構設立の目的や活動について、改めて教えてください。
樋口 まず申し上げたいのは、安心安全でなければ社会活動も活発にならないし、企業も投資をためらいます。安心安全こそが社会に活力をもたらす最大のインフラだと思います。
国際的に見ても、日本は最も安心安全な国だと言われています。これは警察の努力だけではなく、官民合わせて良い社会づくりができているのだと思います。言葉を換えれば、日本人の規範意識の高さが安心安全の要因になっているのです。
そして、万引防止を広く呼びかけることは、この高い規範意識を維持させることにつながると思います。万引防止活動以外でも自転車ルールの啓発活動、薬物乱用禁止を訴える「ダメ、ゼッタイダメ。」という標語を使ったキャンペーンなども同様です。
こうした犯罪防止、ルール順守に不断の取り組みをすることで世界でもまれに見る規範意識の高さが保たれているのではないでしょうか。なかでも「万引防止」は老若男女に共通する身近なテーマです。
不明ロス被害と財務を結びつける習慣がない
─米国の大手小売業は、万引きを含む不明ロス対策に積極的ですが、日本はいかがでしょう。
樋口 ある大手小売業のトップとお話していたら、「(万引きは)こういう商売をしていると仕方のないことです」とおっしゃいました。また、別の小売企業トップの方からは「万引きしてでも欲しくなるような魅力的な陳列でなければモノは売れないのですよ」とお聞きしたこともあります。
もっとも、そのような企業でも最新鋭の防犯カメラを導入するなど万引対策は立てているのですが、残念ながら運用が適切でないなど、全体として見れば、日本の小売業、特に経営層は米国ほど意識は高くない、体系的、全社的で実効性のある万引防止対策は遅々として進まないという印象です。
─それはなぜだとお考えですか。
樋口 色々理由はあるのでしょうが、そのひとつは不明ロスと財務を結び付けて考える習慣がないことではないでしょうか。私たちは万引きだけでなく、内部不正、業務管理上のミスも含めて不明ロスとして考えています。
日本の企業は計画した予算など一定の売上、利益を挙げればそれで満足しますが、こうした不明ロスがなければ純利益にそれだけ上乗せできたはずです。不明ロスによる損害は真水の金額です。
米国の決算説明会や株主総会などでは、例えば、利益が悪かったとき、それが在庫過剰だったのか、経費がかかりすぎたのか、それとも不明ロスが多かったのかなど、財務状況を分析するひとつの指標として不明ロスが扱われています。
万引き、不明ロスに関して現場では大変に関心が高いのです。しかし、それが経営層や財務とつながっていないという印象です。アメリカでは投資家の関心も高いと聞いています。
年間の推計不明ロス額約8,350億円 万引被害の認知率は推計0.3%
─日本でもブックオフ(ブックオフグループホールディングス)で大規模な内部不正があり、2024年5月期決算の発表を延期、特別調査委員会が設置されるという事件が発生しました。これをきっかけに日本の小売業の経営者も不明ロスへの意識が高まるかもしれませんね。
樋口 そうなることを願います。お客様商売なので万引対策は正面切って打ち出しにくいし、内部不正も身内の恥という意識で公表しづらい面もあります。しかし、実情は看過しがたい被害が出ています。
万防機構が不明ロス額を推計しましたが、その額は約8,350億円、そのうち万引被害の推計値は3,460億円にもなります(図表1)。
2023年の万引きの認知件数は9万3,168件です。被害額から推計すると3,460万件の万引きが起きているはずで、認知件数割合はわずか0.3%、99.7%は認知されていないことになります。こうした推計値から、万引被害の認知は氷山の一角にすらならないという声もあるほどです(図表2)。
確かに被害届けを出すと事情聴取や書類作成などで店長さんが時間をとられるということもあり認知されにくいのが実情です。
だからこそ、未然に抑止することが重要なのです。万防機構では万引をはじめ、広く不明ロスを抑止する対策を立てるために「ロス対策士」という検定試験を主催、実施しています。
─ロス対策士検定試験はいつ頃から始めたのでしょうか。
樋口 2017年にウォルマートのロス・プリベンション担当ディレクター、ホームセンターのロウズの元副社長や、この分野の第一人者でLPRC(ロスプリベンション・リサーチ・カウンシル)の創設者の一人であるフロリダ大学のリード・ヘイズ博士(「Retail Security & Loss Prevention」の著者:邦訳「小売業のロス対策入門」)など、米国の専門家、実務家を招聘し日本でロス対策に関する「万引対策強化国際会議」を開催しました。約400人の参加があり、万引対策の機運が大変に高まりました。
これをきっかけに、米国の制度を参考に「ロス対策士」という検定試験を日本でも確立しようということになり、万防機構理事の近江元(おうみはじめ)氏を中心に勉強会が立ち上がりました。議論や勉強を重ね2021年に最初の試験が始まり、これまでに650人以上のロス対策士が生まれています。
不明ロスは、業種の性格上仕方がないと捉えられていました。もちろんゼロにすることはできませんが、専門的な知識と技術で適正水準にコントロールできるのです。その一翼を担うのがロス対策士なのです(学習内容は図表4参照)。
不明ロスは異常値、事件ではなく、いわば必然であり、予め設定した目標値以下に減少させるといった新しいマインドセット(心構え)で臨む必要があるのです(図表3)。
日本の小売業、とくにDgS(ドラッグストア)は多店舗展開していて4桁の店舗を出店するDgSも複数あります。1店舗ごとに対策を立てると費用対効果が合わないでしょう。郊外型、都市型など立地タイプによっていくつかのパターンに分けて計画的、事前に対策を取れば効率的だと思います。
しかし実態は一度被害が起こると、対症療法的にカメラを設置したり、警備員を置いたりすることが多く、受け身的な企業が多いように感じます。チェーンストアの特徴を生かして対策も標準化することが大切だと思います。
私たちはロス対策士の検定試験を活用して、専門家、実務家を育成することで、不明ロスを未然に防ぐ「ロス・プリベンション」を提案しています(図表5)。ある書籍販売企業の事例ですが、この企業は店長以上の職位にロス対策士の資格取得を義務づけています。
2019年から2022年までの不明ロス率は平均で0.375%、ロス対策士を2021年から育成して3年目の2023年には不明ロス率が0.11%、前年より0.34%下がっています(図表6)。この企業は72店舗、年商は約170億円なので、改善したロス不明率0.34%は5,780万円に相当します。
様々な活動をつなげて、プラットフォームをつくりたい
─今後、万防機構が目指すものはなんでしょう。
樋口 不明ロス対策士検定試験が普及することで、被害を出さない、また犯罪者を出さないことに貢献していきたいです。また、ロス対策士同士が情報共有できる環境や基盤づくりもできればいいと思っています。
現在、日本宝くじ協会助成事業として、万引防止のポスターや冊子をつくって全国の中学1年生に配布することで、青少年の規範意識向上を図っています。神奈川県では高齢者の万引きの再犯防止のプログラムをつくって実施の支援をしています。
その他、顔認証カメラを使った万引抑止の取り組み、警察との連携なども行っています。
最近は、インターネット事業者の協力を得て、盗品がインターネット上で販売されていることの実態把握や盗品販売の抑止に注力しています。以前は盗品をさばくためには、専門の犯罪組織のネットワークを使わなければなりませんでしたが、インターネットが発達して、オークションや販売サイトで簡単に売ることができ、万引きをビジネスとする個人が多数生まれています。
オークションサイトなどをモニターして、例えば、同じアパレルチェーンの新品が繰り返し出品されるなど怪しい動きがあれば警告を発し、盗品であることが判明すれば警察と協力して摘発するといったことを実施しています。
将来的には、こうした様々な活動をつなげて万防機構を不明ロス対策のプラットフォームにしたいと考えています。小売業の方には、ぜひ、ロス対策士の育成、ならびにこのプラットフォームへ参画することで、自社の不明ロスの対策に役立てて頂きたいと思います。
─不明ロス対策への活動、ロス対策士など、貴重なお話をありがとうございました。
<取材協力>
ロス対策士検定試験制度に関する問合せ先
特定非営利活動法人全国万引犯罪防止機構
https://www.manboukikou.jp/exam-about/
メール:lpj@manboukikou.jp
電話:03-5244-5612