cos:mura創業社長 權容守氏インタビュー

挫折と再起。「cos:mura」誕生とその経緯、そしてこれから

韓国コスメを、日本市場に根付かせる牽引役となっているのが「cos:mura」(運営/株式会社L&K)だ。現在も躍進を続けるcos:muraについて、創業社長の權容守氏にお話を伺った。

  • Facebook
  • Twitter
  • Line
  • Hatena

日本と韓国をコスメで結ぶ

2018年に創業されたcos:muraは、自然派化粧品を中心とした韓国コスメセレクトショップの代表格だ。加えて製造、卸の機能も持ち、フランチャイズ展開も行っている。その名前の由来は、ごくシンプルに「cosmeticの村」。様々な企業が扱うコスメを集め、セレクトし、健康な美を追求しようとの目的のもと、ひとつの村を形成しているとの意を示す。

しかし現状、cos:muraの様相は単なる村とは言い難いほどになっている。韓国コスメ販売のトップランナーとして認識され、なおかつそれにふさわしい実績も挙げている。武器となるのは、迅速な新商品開発、人気商品の選定とその供給。移り変わりの激しい化粧品のトレンドを素早くキャッチし、即座に対応していくスタイルだ。

取り扱うブランドは、クリオ、メディヒール、ミシャなど100種類にも及ぶ。アイテム数で言えば、5,000種類超。売上の約50%は自社で企画・開発・製造したプライベートブランド(PB)が占める。すべての商品はリアル店舗に加えECでも販売しており、好評を博している。韓国コスメではリアル店舗とECを両軸で運営することが重要になる。

東京をはじめ、日本各地に広がるcos:muraの店舗数は2023年2月現在52店舗(うち25店舗が直営)だが、今後も続々と増えていくものと予測される。

そのスタート以来、cos:muraは日本と韓国のコスメの橋渡し役として、活発に動き続け拡大を続けている。

「紆余曲折」では済まされないcos:mura誕生までの道

現在でこそ注目を浴びるcos:muraだが、創業者である權氏のビジネスヒストリーは波乱万丈と言える。兄が携わっていた化粧品事業で、アルバイトとしてキャリアをスタート。その後コスメに関心を抱き、自身で事業を起こしたいと考えて、25歳で地元キョンジュを舞台に起業した。

「当時の韓国は景気が良かったこともあり、すぐに3店舗を展開するまでになりました。その後、オンライン事業にも進出。オンラインでの売上は全国でもトップクラスとなったのです」(權氏)

順風満帆かとも思えた權氏のビジネスだが、そのまま伸長することは叶わなかった。35歳のとき、「経営への理解が足りなかった」(權氏)ことを原因として事業に失敗。自宅マンションを売り、当時保有していた2台の高級車も売却、それでも5億ウォン(日本円で約5,000万円)もの負債が手元に残った。一時は自死も考え、実際に海岸沿いを車で走り、家族に迷惑をかけないために、事故に見せかけて保険金を得ることまで考えたという。

しかし彼は、そのとき目にした朝日の美しさに圧倒され、「逃げるなんて卑怯なことはやめ、一生懸命生きてみよう。方法を探し、やり直してみよう」と決意する。もう一度化粧品で勝負することを決めたのだ。

「その際選択したのが、とある後発コスメブランドの販売でした。たったひとつ残っていた店舗は立地が悪く、扱おうとしていたブランドもはやっているとは言えない。けれど商品そのものは、お客様にお勧めできる品質の高さを持っていると感じました。それを信じて店舗のオープン、私自身の再起につなげたのです」(權氏)

最初の店舗でなんとか売上を出すために、權氏は自ら行動することを選ぶ。有名なキャラクターの着ぐるみを着て店頭に立ち、道行く人にサンプルやクーポンを配っていった。すると人々は、気軽に店内に足を踏み入れてくれたのだ。

「それまで閑散としていた店内が、あっという間に人であふれました。人さえ入ってくれれば、自信ある商品をお勧めできる。私の『着ぐるみ作戦』は、見事に当たったということです」と權氏は振り返る。

店舗においては、丁寧な商品説明を伴う接客を展開。また、「今買わなくてもいい」「サンプルを使ってみて、まずはその良さを感じてください」といった異例のトークで商品の良さを強くアピールしていく。

その結果、ブランド販売店としての売上は全国1位に。ついには本社から依頼され、複数店舗を手掛けるようにもなっていった。

やがて別のコスメブランドを扱う店舗も出店し、權氏の会社は再び順調に事業成長を遂げていく。そして次に考えたのが、韓国外への進出だった。

周囲からは購買意欲が高まっている中国を選択することを勧められたが、權氏はその言葉に耳を貸さず、進出先として日本を選ぶ。これは、かつて東京・新大久保を訪れた折、韓流ブームのすさまじい盛り上がりを体感したしたことがきっかけだ。

「加えて韓国での店舗でも、日本人は上客でした。自分用のほか、人へのお土産を買ったり、リピート率も高かった。そこで韓国と日本で様々な準備を整えたのち、来日。2016年1月1日のことでした」(權氏)

そして日本で事業に関する詳細をさらに詰め、満を持して2018年cos:mura1号店が東京・新大久保にオープンしたのである。權氏はここでも「着ぐるみ作戦」を行い、店舗の幅広い認知につなげていった。

このような社長自らが動く姿勢から従業員も多くのものを感じ取り、それぞれの業務への向き合い方を変えていく。これは、cos:mura成功につながるひとつのベースになったということができるだろう。

経験と実績を生かし、さらに広いステージへの挑戦を

cos:muraは今後展開する日本のDgS内でのショップインショップを大きな事業として育てたい考えだ。売場では韓国化粧品協会と連携した商品供給も活発に行っていく。

さらには、ヨーロッパ、アジアへの展開を考えており、パリ、バンコクへの出店が計画段階に入っている。そこでは韓国コスメを主軸としながら、日本のコスメも数割加え、アジアのコスメという大きなくくりで勝負していきたい考えだ。

「人材豊かなK-POPアイドルと同じように、コスメもブランド、商品層が厚く、次々と『新しい何か』が登場します。

私が思うに、変わり続けるのが韓国コスメであり、アジアンコスメ。もちろんロングセラー商品はできるでしょうが、メーカーは常に新しいアイデアで『次の商品』を生み出していく。だからこそ、日本という化粧品強国で実績を残したように、他の国でも結果は出せると考えています」(權氏)

そんな大きな展望を持ちつつ、cos:muraはフランチャイズ事業も展開している。そこではこれまでの權氏自身の経験と知見をシステムとして販売、成功のノウハウを惜しみなく提供していくとしている。現在はcos:muraのフランチャイズならではの具体的なメリットを積極的にアピール、加盟店オーナーを広く募集している状況だ。

「目標とするのは、全国数百店舗の展開まで到達すること」と明言する權氏。彼は、そしてcos:muraはまだまだ進化を続け、韓国コスメの世界的定着にひと役買っていくものと予想される。